3-24:腐植土

メロウ・ハートの廃都市と果実のマイケル メロウ・ハートの廃都市と果実のマイケル

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 その昔、さまざまな実験が行われたってカラバさんは教えてくれたよ。『空と大地のつなぎ目の部屋』の”奇跡”を解明して、ネコたちの”技術”にするための実験をね。

 わざわざ理由を作って空と大地とを行き来する。子ネコの前ではとても言えないようなことも試してみたっていうんだから、当時のネコたちが何を考えていたのかまるっきり分からないや。

 灼熱のマイケルは「非ネコ道的な行いもまたネコたちの歩みの一つ。違う時代の倫理観を今の目線だけで語っても仕方ない」って言ってたけど、茶色いマイケルには難しくて分からなかった。

「実験の結果分かったのは、おおよその『願いの重さ』だけでした。『観光をしたい』よりも『病ネコを治したい』の方が願いは重く『誰かを生き返らせたい』はさらに重い。代償の法則についてはほとんど分からずじまいです。重い願いにはより大きな代償が求められやすいということは分かっていますが、それも絶対ではない。ですので」

 組んだ指に力が入るのが分かる。

「私たちは私たちの裁量によって、この部屋を行き来していいネコを決めることとしたのです。その上でピッケさんの願いは、あまりに重いと判断いたしました。茶色いマイケルさん、お分かりいただけたでしょうか」

 茶色いマイケルはずっと話を聞いていたけれど、突然話しかけられたような気がして咄嗟には言葉が出てこなかった。無言の部屋の中はとっても居心地が悪くて、焦りもした。頭が空回っちゃうんだ。

 灼熱のマイケルは目が合うとアゴを引いた。果実のマイケルは垂れた左耳をヒクヒクさせて困った顔でうなづいた。どっちのマイケルも助けてはくれないみたい。

「そんな、でも……。そうだ! 『願いの重さ』っていうのが問題なのはさ、ここから大空の国に行く時だけなんでしょう? あわあわの世界に行っちゃえば関係ないんじゃない? だったら、『ピッケはそんな願いを考えてませんよ』って言えば」

「誰にだ?」

「誰にってそれは……」

「店主にか? 部屋に言うか? ダメだろうな。口先の言葉は見抜かれる。というよりも意味がない」

「意味がないって、なんで」

「『願いの重さを量る』という言葉が出てきた時点で、ネコの持つ技術の域を大きく超えておる。願い、すなわち心だ。心の量り方など知っている者がどこにいる。神だよ神。どの神かは知らんが、この『空と大地のつなぎ目の部屋』にはまず間違いなく神が関わっておる。そんな超常の存在を欺けるネコなど、少なくともワシは知らん」

 神様という言葉を聞いて、茶色いマイケルが思い浮かべたのはそう、スノウ・ハットのおとぎ話さ。前に、雪と氷の女神様の話をしてくれたことがあったけど、あの時この子ネコが言っていた。「神は理不尽な願いを嫌う」って。その言葉が頭の中で何度も何度も、鐘の音みたいに鳴り響いていた。

 そんなの、ピッケが何をされるかわかったものじゃない。

 それどころか、ピッケの周りのネコたちが、茶色いマイケルの友猫たちが、どうなるかさえ分からないんだ。

 カラバさんはため息をついた。なんだか苦しそうなため息で、嫌な感じはしない。

「茶色いマイケルさん、ご納得いただけましたか?」

 どうしてボクに尋ねるの? 尋ねるならピッケに。

 首が自然とそっちを向いた。そこにはさ、今にも崖から落っこちそうな子ネコの表情があったんだ。すがりつく、って言葉がこれほど苦しいなんて思わなかった。

 息を詰めた茶色いマイケルに言葉はない。代わりに話したのは果実のマイケルだったよ。

「ねぇピッケぇ。枯れた植物ってどうなるか知ってるぅ?」

 ピッケはヒゲを垂れ下げたまま、わずかに果実のマイケルの方に顔を向けた。

「植物だけじゃない。生き物はみんなね、腐るんだ。ぐずぐずになってぇ形を失っていく。腐るっていうとなんだか汚い感じがするよねぇ。だけどさぁ、これがすっごく大事なことで、次に生きるための通り道なんだよねぇ」

「次に、生きる?」

 声は茶色いマイケル。

「そう。腐って分解された『生き物だったもの』はみんな、時間をかけて土になっていく。森なんかでふよふよの土を触ったことはなぁい? あれは腐植土って言って葉っぱや枝が朽ちたもの、つまり死骸なんだぁ。植物だけじゃなくってぇ、昆虫や動物たちの死骸だって混ざってることがあるんだよぅ」

 ホロウ・フクロウの森で灼熱のマイケルとケンカをしたときに、掻き上げたりばらまいたり、降れらたりしたっけ。

「この土をオイラたち木の実の国のネコはとっても大事にしてる。どうしてだかわかるかぃ? それはねぇ、この土にすっごく栄養があってぇ、他の植物を大きく立派に育ててくれるからなんだぁ。すごいよねぇ。これってさぁ、オイラたちネコにとっても同じことがいえるんじゃないかなぁ。オイラたちはいつか死んじゃう。だけど、死んじゃっても終わらない。無くなるだけのものじゃないんだぁ」

 果実のマイケルはきっとピッケにも分かるように、それこそ分解するようにゆっくり丁寧に説明していた。聞いてる方がもどかしくなってくるくらいにね。だけどさ、そういう気持ちって、全部が全部伝わるわけじゃないんだよね。

 ピッケは下を向いたまま立ち上がって、

「うそだよ! だってお母さんネコはもういないんだ!」

 って涙をぽとぽと落としてた。靴の爪先の、汚れて固まっていた泥が濡れて垂れた。

「お母さんネコは、もう……!」

 腕で涙をぬぐい払うピッケ。茶色いマイケルが「あっ」と手を伸ばそうとしたときには、ソファーを離れて扉へ走り出していた。慌てて追いかけようとしたけれど、ほんの少し迷っているうちに、カランカランと玄関の鈴の音が鳴って、扉の閉まる音がした。

「うぅーん……話し方ぁ、間違っちゃったなぁ」

 このお店の中に、誰か悪いネコはいたのかな。

 ピッケを追いかけようと立ち上がった足は、なかなか先へ進んでくれなかったんだ。

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