3-18:メロウ・ハートの成立

メロウ・ハートの廃都市と果実のマイケル メロウ・ハートの廃都市と果実のマイケル

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 元々、サビネコの多いさびれた町でした。

 遠い昔、大きな街道から外れていたこの町は、中継地としてはとても不便な場所だったのです。流通経路はなく、食料も、情報も、若ネコも、新しいものは何も入ってこない。住民ネコたちは、朽ちていくのを待つだけという将来を、ひしひしとヒゲで感じていました。

 そこに一匹の旅サビネコがやってきて、住民ネコたちに歌と踊りを教えたといいます。

 夢見る未来のなかった住民ネコたちにとって、それがどれ程の潤いとなったか。

 それはメロウ・ハート発祥の歌や踊りの多さが示しているのかもしれませんね。今も世界中に残っている歌や踊りのパターンを読み解けば、その源流がこの町にあることは明白なのです。きっと住民ネコたちは寝食を忘れるくらい歌って踊って、自分たちの血肉とし、さらには新しいものを生み出して、子孫たちに伝えていったのでしょう。

 ええ、茶色いマイケルさんのおっしゃる通り、雪と氷の祭典スノウ・ハットに設けられる『歌と踊りの間』での楽曲もまた、その頃のメロウ・ハートから伝わったものです。

 歌や踊りはことあるごとに披露されました。元々少なかった祭事は一年を通して度々開かれたと記録されております。

 すると耳ざとくその噂を聞きつけた旅ネコが増え、それを目当てに商ネコが集まりました。輸送できる商品を増やすために街道が整備されると、観光目的で気軽にやってくるネコも増え、町は大きく発展を遂げることとなったのです。

 街の規模が大きくなってくると、様々な楽しみが求められるようになりました。住民ネコたちから教わった歌と踊りを旅芸ネコたちがさらに研鑽し、趣向を凝らし技術を磨いていく。そのうちに「メロウ・ハートは才能を求めている」という噂が広がり、職ネコや芸術家ネコたちが世界中から集まってきました。

 道行く猫々に声を掛ければ、おおよそ芸術家ネコかその弟子ネコ。

 絵描きネコに作家ネコ、建築ネコに工芸ネコ、庭園ネコ、作曲ネコ、歌手ネコ、指揮者ネコ、写真ネコ、ファッション、メカニック、インダストリアルデザイナーネコ……等々、様々な分野に精通したネコたちが、才能を披露し、影響し合い、高め合う、まさしく才能の坩堝と化し、それによっていつしか『芸術都市メロウ・ハート』と呼ばれるようになっていたのです。

 そんな街で育った子ネコたちの目も、必然的に養われ、やがて自らの才能を開花させていくこととなります。はい、サビネコが多かったようですよ。

 ある国の王族ネコによる円形野外劇場の建造は、メロウ・ハートの歴史の中でも最も華やかな時代への入り口でした。遠く離れた国からもVIPネコたちを引き寄せ、来客ネコ用の施設が建て増しされて空へと延びていく。活気は最高潮。

 円形野外劇場は連日の大賑わい。演劇は隔日でしたが、順番待ちをする列は途絶えることがなかったというから驚きです。その列に、一般市民ネコだけでなく王侯貴族ネコやVIPネコたちも並んでいたと言う話は、この街の価値観をよく表しているかもしれませんね。

 さて、それほどの人気ですので、役者ネコたちの中でも、さらに主役ネコともなれば求められる才能は別格。マタタビ酔いも瞬時に醒めるほどでなければ話になりません。

 その才能を最も発揮したのがこの街で育った子ネコたちでした。

 歴代の主役を調べればわかります。すべて、この街のネコだったのです。裏取引があったのではないかと、そういう意見もありますが根拠はありません。それに、目の肥えたお客様を欺き続けるのは、そう容易いことではないはずです。

 様々な芸術を見て感性を豊かに育んだ子ネコたちは、その存在自体がこの街の生んだ作品だったと、評されて然るべきではないでしょうか。やはりサビネコの多い子ネコたちでしたが、同じサビネコでさえも彼ら彼女らを一括りにはしませんでしたからね。敬意を込めてべっこう猫と呼んでいました。

 その宝石のようなネコたちの中でも、さらにまばゆい才能を持ったネコ。それこそがピッケさんのご両親ネコなのです。

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