4-47:雷雲の海

***

 球雷は、さっきよりもかなり速く膨らんだ。あんまり速いからすぐにクラウン・マッターホルンの頂上が飲み込まれるかと思ったんだけど、

 あれって……!

 つむじ風が立ったんだ。それも崖の上で見たものよりずっと大きくてはっきりした、ほとんど竜巻と言っていいようなつむじ風がね。

 つむじ風の大渦は、球雷をまるごと包みこんで空へと押し上げた。押し上げながら放電させ、削って小さくしていく。

『無駄だよ無駄。お前とボクとじゃ相性が』

 だけど少年ネコ声の神ネコさまは、その先を言わなかった。削れたはずの球雷がまた膨らみはじめたんだ。

『神世界鏡の欠片を取り込んでいるのを忘れたか』

 冷たい声はそっけなく言い、

『単体なら危なかったが私たちなら問題ない。合わせてくれ』

 と今度は隣に向けて頼んだ。穏やかな声が『分かった』と応えるとまもなく、つむじ風に変化が起きる。

 軸を通したように立っていた大渦に激しい横揺れが加わった。それだけじゃない。大渦は、膨らんだり縮まったりと、球雷をもぐもぐ咀嚼するようにふるまったんだ。

 そんな胃袋のようなつむじ風を見ていると、上から何かが降ってくる音がした。隕石だ。数十はある隕石が火を噴くような音をたてて灼熱しながら飛来してくる。その隕石群をつむじ風は、待ちわびていたように口を開いてまるごとゴクンと飲み込んだよ。辺りにはごりごりと固いものを噛み砕く低い音が、鈍く響いた。

『消化するのに多少時間がかかりそうだな』

 穏やかな声がリラックスした調子で言う。

 茶色いマイケルは球雷を見てさっきのことを思い出し、またこっちに飛んでくるんじゃないかって緊張してたからついホッとしてしまう。とりあえずは一安心、だなんて思ったんだ。そんなところにケラケラケラと笑い声が聞こえてくるもんだから、ビクゥッとしっぽを跳ね上げたよ。

『あいつら、あれだけしか取り込んでないと思ってんなー』

 えっ、と思う間に、胃袋みたいなつむじ風がみるみる渦を黒く染めていった。

 それだけじゃない。

「雲が……!」

 声は虚空のマイケルだ。俯瞰して見ていたから気づけたんだろう、頂上にいる神ネコさまたちをいつの間にか黒雲が大きく取り囲んでいた。円環状になった黒雲はその中に雷を飼っている。『雷蛇』だ。

 雷蛇は『黒雲の輪』の中で加速した。ぐんぐん速度を上げて凶暴になりついには黒雲を破裂させ、突き刺さす勢いで『黒つむじ風』に飛び込んだ。

 黒つむじ風は一瞬激しく光り、爆発物の入った袋のようにバン、バン、と暴れに暴れた。

 そして食い破られる。

 破られ、まき散らされたのは雷雲の海だ。

 暗く、どろどろと重たげな黒雲がクラウン・マッターホルン頂上を中心に、ざぶんざぶんと大空へと流れ出していく。黒い海の中には当然雷蛇も棲んでいて、放電火花があちこちで散っている。どころか、球雷までもが無数に浮いていた。

『こいつ、場を作り始めやがった!』

『少しまずいな、おい、他の神を集めよう』

『こうなれば多少の崩れは許容するしかない』

 だけど、3匹の神ネコさまたちが話しているうちに雷雲の海には大渦が立った。一つや二つじゃない、十、二十、三十、四十、五十と、際限なしに続々と増えていく。まるでブレーキの壊れたバイクに乗っているような心地で茶色いマイケルはその様子を見ていた。焦ったのは子ネコたちだけじゃなく、神ネコさまもらしい。

『お、おい嘘だろいくら何でも早すぎる!』

 幼声の神ネコさまが叫び声をあげる。

『後先考えずに……くそっ!』

 冷たい声の神ネコさまも声を荒げた。

『仕方ない、ここで使うか』

『だな。どうせこのままじゃ全部飲み込まれちまう』

『あとで集まった神たちに修復の協力を頼もう』

 声に覚悟がこもったその時だ。

『いや待て、どうやら間に合ったようだな』

 辺りに靄がかかりはじめた。

『来てくれたか』

 返事はない。だけど、気にする様子もなかった。

『ならば一切の出し惜しみなくいくぞ。球雷だけは岩に近づけさせるな』

 一瞬、静けさに包まれた。

 それから、タールをぶちまけたような黒で空を埋め尽くしていた雷雲の海が一斉に、震えあがるように燃え立った……!

 炎は青い。その上を雷蛇が苦しげにのたうち回る。炎には雷がからみつきあちこちで爆発が起きている。大渦が衝突を繰り返し、そこへ隕石が降り注ぎ、とんでもなく高い波が立つ。途中からはもう音と光とで埋め尽くされて何が何だか分からなくなってきた。

 本日2度目のこの世の終わりだ。

「ここも危ない! 離れるぞ!」

 灼熱のマイケルが茶色いマイケルのしっぽをぎゅっと握った。見れば潰れるほど握られていてかなり痛いはずなのに、耳と目がやられて痛覚まで麻痺していたらしい、握手されたくらいににしか感じない。それでもハッとするくらいは出来たから芯に力を込めて空へ上がろうとしたんだ。でも。

「どうした!? お前たちも何をしている!」

「動かないんだ! 芯がきかない!」

「こっちもだ!」

「ねぇ茶色ぉ!」

 茶色いマイケルは風の獣の背中に耳をつけ「風ネコさま!」と呼び掛ける。

『まーまー、今いいとこだからよー、黙って見てろよなー』

 返事は子ネコたちの焦りに比べてひどく軽かった。

 見てろって言ったって、これじゃあすぐにこの場所も……。

 とその時、青く燃え盛っていた炎の海が煙に包まれた。いや、けぶる景色の正体は雨だ。どこからともなく降りだした雨が、海上の炎を消しにかかっていたんだ。

『結局始めることにしたのか?』

 声が、違う……増えた!?

『嵐……貴様かっ』

『ワイもおるで』

 またっ。

『大気圧までっ!』

『あらあら、雷雲さんあんた意識飛んどるやないの……ってなんやこの石っころ。やかましいなぁ黙っとれ』

『――――!?』

『礫が潰された! ああ山がぁ、山までがぁ!』

『お前ら何してくれてんだぁ!』

『おいおい、2等ごときが粋がるなよ。ここは俺たちの空なんだ』

『……多勢に無勢だ、無理をするなつむじ風。……使うしかない』

『この規模でか!? 相当持っていかれるぞ』

『大局を見極めろ。ここが分水嶺だ』

『おっとっと怖い怖ぁい。ほんなら、お土産もろとこ』

『――――っ』

『なっ、蒸気までっ!』

『くそが。もう待たなくていい、諸共こい』

 茶色いマイケルは途中から目を開けていなかった。両手で耳を塞いで爆音をさえぎり、風の獣の背に額をつけてうずくまっていた。それでも聞こえてくる神ネコさたまちの声に、身体が震えて止まらなかったよ。怖いのもあったけど……それだけじゃない。

 ……なんだよ、これ。

 神世界鏡の欠片を見つければ丸く収まると思ってた。

 茶色いマイケルたちが頑張りさえすれば、それで神ネコさまたちが仲直りして、空ネコたちも不自由なく暮らせるようになって、さらには地上のネコたちだって……。

 みんなで幸せになれると思ってたんだ。

 そのためにさ、そのために頑張って来たんだ。死にそうな目に遭っても登ってきたんだ。それなのに、それなのに……。事態はもう、何がどうひっくり返ろうが、子ネコには手に負えない状況になっていた。

 好き勝手に力を使う神ネコさまたち。あの黒雲の下はいったいどうなっているんだろう。山には、森には、動物たちだっているっていうのに……!

『ろくでもねーだろ、神なんて』

 語り掛けてきたのは風ネコさまだ。

『秩序だなんだと言っても結局よー、周りのことなんてちーっとも考えちゃいないんだからなー』

 その言葉がさらにお腹の奥を煮えたぎらせた。

 だったら、どうして……!

 と拳を握りしめたところへ、頭の中に映像が流れこんでくる。眼下の、地獄のような雷雲の海の様子だ。音と光を加減してあるらしく、いやがらせのように子ネコにも見やすかった。

『派手なのくるぜー』

 直後、青空が高波となって押し寄せた。

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