4-44:お礼

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 『神世界鏡の欠片』は『尖った岩』に打ち当たるなり細かく砕けた。

 シャン、と軽く涼やかな音をたてて、風に撒いた砂のように粉々になってしまった。その粉が爆風に乗って雷雲ネコさまの中へと吸い込まれていく。

 風の勢いはすごかったし、ほんの一秒か二秒のうちの出来事だったんだ。雷雲ネコさまが驚きで身動きを止めても仕方のない事だと思う。

 だけど雷雲ネコさまは大きく口を開いたまま、動きを止めていた。

 いくらか萎んだたてがみ以外は、時間が止まったみたいにピクリともせずにね。

 子ネコたちも身構えて動けなかったよ。

 まばたきしたら目の前にいて、頭からガブリと食べられるところを勝手に想像しちゃうんだ。頭がね。

 そんな張り詰めた空気の中で茶色いマイケルは、頂上で荒く息を吐いている灼熱のマイケルにちらりと目をやった。爆風を起こすのに風の獣を使ったから、空に浮くこともできないんだ。後ろに乗せてあげないと。

 そう思って動こうとした時だ。ずあん、と低い音がして空気がぶるぶると震えた。

 茶色いマイケルは大慌てで灼熱のマイケルのそばまで行き、身を乗り出して手を伸ばした。虚空のマイケルと果実のマイケルもそれぞれに風の獣を動かす。

「急げ灼熱。果実、俺たちでおとりになるぞ!」

「ん!」

 そう短く応えた果実のマイケルだったけれど、すぐには動き出さなかった。頭を突き出すようにしてじぃっと一点を見つめている。

「……でもさぁ、なんか遠くなってなぁい?」

 遠く? と思って見てみれば、たしかに雷雲ネコさまが離れていっているように見えた。奥へ奥へとどんどん下がって、そのまま遠くへ……いや、ちがう。

「小さくなってるんだ!」

 獣の器が縮んでいるらしかった。遠近感の曖昧な巨体が、みるみるうちに小さくなっていき、さらにはゆっくりと落ちていたんだ。

 それに伴って空を覆っていた黒雲も、そこここにあった千切れた黒雲も、ぼんやりと灰色に広がっていた雪も、夜が明けて朝になるように静かに消えてなくなり、あとには痛いくらいに晴れ渡った青空が残った。

 太陽はほとんど動いていない。

 子ネコたちも雷雲ネコさまの姿が見えなくなるまでは動かなかった。

「終わった……の?」

「分からん……」

 茶色いマイケルは風の獣に乗ったまま、灼熱のマイケルの隣に並ぶ。

「どうだろうか。力を無くしたようには見えたのだが」

「とりあえずさぁ、オイラたちは生きてるってことで、いいんじゃないぃ?」

 その一言で、4匹のマイケルたちはようやく息を吸うことが出来たよ。この世の終わりみたいな雷をもう聞かなくていいと思うと、たっぷりとため息が漏れてくる。一応、ヒゲを引っ張ってみたらちゃんと痛かった。

「ところで虚空、何がどうなって雷雲ネコ様はああなったのだ?」

 灼熱のマイケルの質問に茶色いマイケルも耳を向けた。さっきは急いでいて説明されなかったからね。虚空のマイケルは「小さくなった理由は分からないが」と前置きした上で、どういう作戦だったのかを教えてくれた。

「雷雲というのは巨大な静電気工場のようなものなんだ。その中で静電気を大きくしていく。積乱雲の上層・中層・下層では電荷の違いが生まれその不均衡を中和するために……いや、もっと簡単に言うと、神世界鏡の欠片を放り込むことで、静電気工場自体を停止させたんだ」

「空中にまき散らした雪みたいに?」

「あれも電荷の中和を狙ったものではあったが、もっと直接的だな。なにせ噴石でもガスでも雷ですら無効化する奇跡の欠片だ、あれを取り込めば”散らす”だけでは済まないはず。内部にあった静電気や大きめの氷の結晶は根こそぎ失われただろう」

「そう、なんだ」

 失われた、という言葉がほんの少し胸につっかかった。言葉にはしなかったけどさ。

「ね、ねぇ、とりあえずここから動かないぃ? 今の騒ぎで他の神さま来ちゃったら大変だしさぁ。それにぃ、欠片はどっちみち谷の方に落ちたんだからこんな危ないところはとっととオサラバぁしちゃおうよぉ」

 おどおどした調子の果実のマイケル。続いて灼熱のマイケルが口を開いたから、ヒドめの冗談を言うのかと思えば、

「そうだな。何かあった時に対応しやすい場所の方がいい。下山しよう」

 と真剣な顔つきだった。茶色いマイケルも耳を立てて気持ちを引き締めたよ。ただ、真剣になればなるほど、胸の裏で爪とぎされているような気持になっちゃうな、なんでだろう。

「そうだ、風ネコさまにお礼言わなきゃ!」

 4匹はさっきまで黒雲のあった辺りに目を向けた。だけどすっかり青空一色になっていたから、透明な風ネコさまを見つけられる気がしない。

「風ネコさま! どこにいるのかな!?」

 茶色いマイケルが口に両手を添えて呼びかけると、

『でけー声出さなくてもよー、ここにいるってー』

 と真下から声がした。乗っていた風の獣が振り返り、身体を震わせて笑っていたんだ。

「わわっ、ごめんなさい、ボクまさか風ネコさまに乗ってるなんて!」

『? ネコくらい乗せてもどーってことねーけど。お前もしかしてオレのこと舐めてんのかー?』

 理不尽で威圧的ではあったけれど怒ってはないみたい。茶色いマイケルは背中に乗ったまま、

「風ネコさま、ありがとう。おかげでボクたち生きていられたよ」

 とお礼を言った。さすがに他のみんなは、もっとちゃんとしたお礼の仕方だったから、茶色いマイケルはちょっぴり恥ずかしい思いをした。

「一つ確認しておきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

 虚空のマイケルが尋ねたのは、風の獣のことだ。いつまで使わせてもらえるのかを聞いておきたかったんだって。ま、子ネコたちはみんな、風ネコさまの性格がどういうものか分かってきたみたいだから、あんまり期待した様子はなかったんだけどさ。だから、

『あーこれなー。山にいる間は使っていーぞー。けっこう面白いもん見れたしよー』

 というのは意外だった。

『まー、生きてるあいだに限るけどなー』

 なんて上機嫌で言うもんだから、みんなついつい和んで笑っちゃう。ただ、

『でもいーのかー? こんなにゆっくりしてて。あいつ、あれでも神だぞ?』

 その声には、茶色いマイケルたちを心配する雰囲気はなく、今にも笑うのを堪えているような、いっそいつもみたいにケラケラと笑い飛ばしてくれればよかったと思うような、不安を掻き立てるものがたっぷりと含まれていた。

 だから子ネコたちのヒゲは、一斉にピンと伸びたんだろう。

『あいつの中に神世界鏡を入れるとかー、ほんとネコって面白いことすんなー。神に神の力入れたらどーなるかとかー考えたことねーんだろーなー。でもよーオレ、ホントはこーゆーのが見たかったのかもしれねーなー』

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