(146)12-4:つめたい声

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 白のユキヒョウの背にまたがって、茶色いマイケルは『鉢植えの大森林』の中を駆けていた。

 暗闇の中、ふかふかの背に抱きついてじっと目を凝らしていると、ぼんやり森の様子が浮かびあがって見える。顔にかかる白い息が、ここは故郷へと続く道なんだよと教えてくれていた。

 会話はなかった。

 向かい風が苦しかったわけじゃない。しゃべりたくなかったというわけでもなくて、目に映るものとは別のことに、茶色はとらわれていたんだ。

『神というのはね、特別な存在ではないの』

 急に話しかけられて、意味が十分にしみてくるまでには時間が必要だった。白のユキヒョウは茶色の頭が追いついた頃にようやく、続きを声にする。

『神とは、器につけた名前。“全能”とはほど遠く、大きな力を宿した神はいても、なんでもはできない。不器用だったり、融通がきかなかったり、できないことを数えたほうが多い、力を宿しただけの、ただの器。神以外もそう。星もネコもすべては器なの』

 話の意図はよく分からないものの、雪みたいな声は心地よく耳の中へと吸い込まれていく。

『スラブとプルームが何を運んでいたのかはもう分かっているわね。生けるものたちの負の感情。嘆き。

 地表という小さな循環の中で扱いきれなくなった生物の嘆きは、地に染みこむとスラブに乗って星の芯へと運ばれる。そこで嘆きは浄化され、今度は芯に溜まった星の力を、プルームに乗せて地上へと放つ。

 地上で使いきれなかった力はさらに上、宇宙の循環の中で使われて、そこでも余ったものは時と空間の循環の中へと持ち越される。同じことはもっと小さいところでも起きているわ。ネコの小さな身体の中でもね。

 理(ことわり)は循環しているの。

 そして、みんな棚上げしているのよ。手に余ることは上の存在へと回している。

 私たちはその何層にも重なった理の循環の中に組み込まれているの』

 茶色は頭の中で、ネコの身体を巡った白い線が、地表をうねうねと駆け巡り、星から宇宙へ、宇宙から時の彼方へと伸びていく不思議な線を描いていた。ぐにゃぐにゃに思えたその線は、遠く離れてみると渦の形に見えてきて、考えるほどに心が穏やかになっていく。

「みんな、つながってるんだね」

『そうよ。みんなもみんな。昔と今と先とがつながって時となり、その時の中では生と死、つまり“あること”と、“ないこと”とが同時に存在している。さらに遠く離れてみれば、“できる”と“できない”でさえ同時にある。

 それこそが、全能と言われるあわあわの神。

 全能なんてそんなものなの。なんでもできるしなんにもできない私たちの集まりでしかないわ』

 その視点で見てみなさい、と白のユキヒョウは駆けていく。

『小さな器しかないのだから、抱え込まなくていいのよ。内の循環で行き詰まることなら、周りに任せてしまいなさい』

 森が息をしていた。

 夜はもう終わるらしい。

 目立ちはじめた木々の隙間から、明け方の色に変わろうとする空が見える。ホロウ・フクロウたちは今から就寝だろうか。辺りは静まり返っていた。

 女神さまは秘密基地の前まで送ってくれた。レジャーシートを巻き付けた白樺の木の真下、沈むような静かさで足を止める。

 お礼を言い、背中から降ろしてもらった茶色いマイケルはそこで、

「ボクね、分かったよ」

 と言った。

『そう。意味が伝わったのなら、話した甲斐もありました』

 けれどその言葉には頭を横に振る。女神さまは小首を傾げた。

『じゃあ、何が分かったの』

「元気づけてくれてたんでしょ」

 かなり遠回りではあったけれどね、と茶色は心のなかで笑ってみせた。

 すると、白のユキヒョウはしっぽをふいっと振り回し、お礼を言おうとしていた茶色いネコを凍らせた。耳の先から足元の土まで、かなり広い範囲を透き通った氷の中に閉じ込めてしまったんだ。

 カチンコチンに凍った茶色の氷像。

 女神さまはそれを一周りして、長いしっぽで頭をかいた。そして、何事もなかったかのように軽やかに身を翻すと、森の中へと歩き出したよ。

 白のうしろ姿が小さくなって、消えていく。

 その輝きの、わずかな残像さえ見えなくなった頃、雪と氷の女神さまは子ネコに向けてこう言った。

『心細くなったなら耳を澄ませなさい』

 そして、つめたい声であたたかく。

 おかえりなさい。

 茶色いマイケル。

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