(143)12-1:時別れの書斎

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 板チョコみたいな扉を開けて、ボクは茶色いマイケルたちを部屋に招き入れた。

 『時別れの書斎』を見た彼らの目はキラキラしていたに違いない。だってここは星々の中にある部屋なんだから。

 まず子ネコたちの目に飛び込んできたのは真正面の渦状銀河だろう。金と青の星々が、絵の具をブラシではじいたような奔放さで散らばりながらも、強く輝く光を中心として奥深い秩序で広がっている。

 そこに惜しげもなくオーロラのカーテンがかかっている。銀河の輝きは強すぎるからね、オーロラネコさまに頼んでこしらえてもらったんだ。緑色の柔らかな光がゆらゆら揺れて目に優しいよ。

 その手前で、なだらかに弧を描いているのがボクの机さ。ホロウ・フクロウの大森林の白樺を加工して作ってもらった特注品で、優しい色の木目がこの宇宙とマイルドに調和して創作意欲をぐいぐいと……おっと、この部屋について語りはじめると本が一冊かけちゃうからやめておこう。

 子ネコたちも興味津々だった。

 虚空は、ふよふよと浮かぶ『世界の大時計』を目を皿にして観察しているし、灼熱は、宇宙を漂う無数の本棚に並ぶ『100億冊以上ある分厚い本』を食い入るように読んでいる。『生きたからくり時計』をつついている果実は、そのうち出てくる『厄災の獣』に噛みつかれてしまうだろう。

 茶色は、イスの上でうとうとしているマークィーの隣に立って、机の横に飾ってある3つのものに目を奪われていた。

 ひとつは、鉢植えの中にある『小さな大森林』。もうひとつは、『くらぁい くらぁい おおきな もり』の表紙絵。そして、雪と氷で描かれた、丘から見た『スノウ・ハットの景色』。

 好奇心のままにあちこちを見て回る4匹が、苦笑を浮かべるボクに気づいたのは、時計のからくりが動き出した頃だった。

「頭の整理はこれくらいでよかろう」

 灼熱のマイケルがわざとらしく咳をする。

「ワシの目がおかしくなったのでなければ、お前の姿は“茶色”に見えるのだが」

 神の化けた姿か、と尋ねながらも分かってはいるんだろう。ボクは机の前に立ち、

『見ての通りさ、ボクは茶色いマイケル。ただ紛らわしいから、“いつかの茶色”とでも覚えておいて』

 と自虐気味に答えた。さすがというか茶色以外のマイケルたちは、耳を傾けながらもそれぞれに考えを巡らせているらしい。そういう目をしていたよ。

『今であるけど今ではない、ずっと昔のような今に、ボクはあわあわ世界へとやって来た。キミたちもそれぞれに嘆きを抱えてね。そこでたまたま会ったんだ』

「ボクたちは、忘れてるってこと?」

『ううん、ボクはボクでキミはキミ。過去に出会ったみんなも、キミたちであってキミたちじゃないからね、忘れているわけじゃない』

 初めて出会ったレースでの話をすると、みんなは驚きと納得とをまぜこぜにした顔で、黙って聞いていた。

 嘆きの広場で出会い、すぐに意気投合してゴールを目指しはじめたボクたち4匹の冒険譚。芯の使い方すら覚束なくて、ちっともスマートな道のりではなかったけれど、宝石の海を泳ぎ、神ネコさまたちと語らい、ネコ・グロテスクから逃げたりスラブの上で毛玉を吐いたり、ケンカして、肩を貸して、声を殺して森を抜けて。そうしてゴールへとたどり着いたボクたちは、このマイケルたちに負けず劣らず晴れやかな顔をしていたはずだ。

 かいつまんで話したあとで、

『その時、ボクはここに残ることを選んだ』

 ついさっきキミが選択しようとしたようにね、と茶色に向かって言う。

「でもぉ、残っただけでこんな部屋……」

 口元に手を当てて、書斎の中を訝しげに見渡す果実。ボクはすかさず、

『そうだね。こうして特別な場所を用意してもらえてるのは、ちょっとしたご褒美みたいなものかな』

 と、話の向きを変えた。食いついたのは自分自身だ。

「ご褒美?」

『とある神ネコさまがね、気持ちが昂りすぎちゃって、騒ぎをいたずらに大きくしちゃったことがあってさ。だけど悪気はないって分かっていたから、罰はやめてよとあわあわの神さまに訴えたんだ。結局、罰を受けることにはなったんだけど、そのとき女神さまたちとちょっとした縁ができたんだよね』

 それから何度目のレースだっただろう。なんとか獲り続けていた特別賞を逃した時だ。神ネコさまたちの異変に気づいたボクが女神さまに尋ねてみると、世界が大変なことになっているのだと言う。

『ボクは協力を申し出た』

 今にして思えば、“いい口実”だった。苦笑いしか出てこない。

『解決の協力をする代わりに、この部屋をもらったってわけ。ただ、みんなも知っての通り、そう簡単な話じゃなかった。渦はどんどん大きくなっていって……何万というマイケルたちが失敗を繰り返したんだ』

 困惑する子ネコたちに、『少し遠回りな言い方だったね』と説明を加えた。

『この世界を、過去から未来へと続く一本の細長いひもとしよう。そのひもが山として積もっているところを想像してくれる? そこに手を差し入れて、指先でつまむ。つまみ上げた一点がここだよ。いくつかのひもの、いくつかの場所が重なり合って、夢のあわいに時を重ねた儚い世界』

 それこそが、あわあわの世界だ。

『ここで嘆いたキミたちは、別の世界でも嘆いている可能性が大きいのさ。そんなマイケルたちを呼び寄せて、ボクたちは何度も何度もあの大渦に挑んだってわけだよ』

 分かったような、分からないような顔が並んでいた。

『つまりキミはスゴイってことさ』

 自画自賛にはならないだろう。

『秤に分銅を置くチャンスは何度かあったんだ。だけどいつも何かが欠けていて、ボクはいつだってここに残ることを選んだ。ボクはね、茶色いマイケル。ここに来た何万という茶色いマイケルたちの集まりなんだ。ここに残ると決めたボクたちは、一番初めに嘆いたボクと合わさり、延々とこの日を追いかけてきた』

 追いかけてるつもりで逃げてきた。そう心の中でつぶやいた。

『そしてキミは選んだ。分かるかい? 茶色いマイケル。キミは――』

 逃げてばかりのボクを帰してくれる。そして――。

『ボクが、ボクたちが、同じネコであるはずの、何万匹ものボクたちの選べなかった道を選んだ、唯一のボク』

 ボクは茶色に向かって挑戦的に視線を投げかける。

『キミは特別な茶色いマイケルなのさ』

 勢いに乗せられて驚いていたふうの茶色は、確かめるように意味を考えて、もう一度驚いた。

 “自分にできなかったことが自分にできた”。

 言葉にすると頭がおかしくなってしまいそうだけれど、その視線がボクの視線と交差した瞬間、ボクは、茶色の顔つきがボクにしか分からないほどうっすらと変わったのを見た。ボクの顔はさぞほころんだことだろう。

『そしてキミたちは最高の仲間ネコだ』

 みんなを見ると灼熱が、

「取ってつけたように言いおって」

 顔をしかめて、笑うのを堪えていた。

「なんかぁ、茶色なのに頭良さそうなこと言ってるぅ」

「やはり神が化けているかもしれんな」

「えぇ、ひどい」

 冗談が飛びかい、わっと賑やかになって、室内がきらめきを増す。

 だけど、笑い声は長くは続かずにふつりと止んだ。あとには、寂しそうな顔が4つ。それでも、ボクは声を明るくして言う。

『大丈夫だよ。新しい世界でもキミたちは出会えるはずだ』

 それは“嘘ではない”。あわあわの世界で会う者は、なにがしかの縁で繋がっているはずだ。たとえば自然。たとえば歴史。たとえば国。たとえば血縁。たとえば性質。同じ時代に住まうネコなら、どこかで出会い直すことは十分に考えられる。

 だけど、“嘘ではない”という程度の真実だった。

 実のところ、これまでのレースで4匹が揃ったのは数える程度でしかないんだ。ほとんどは茶色が1匹で参加して、ごくごく稀に1匹か2匹と出会うくらい。そんな何万分の1の確率を根拠に励ましたとしても、説得力はないだろう。

 だけど、そんな中ででも出会ったキミたちだ。

 この世界で生まれた縁があってもおかしくはないだろう?

 ボクはボクに言い聞かせ、4匹を見据えたよ。どうにか彼らを励まして、心置きなく帰路についてもらいたかったんだ。でもきっとその前に……。

「ひとつ尋ねたいことがある」

 声は灼熱だった。灼熱の、とても低い声。

 ボクは、来たかと口元を引き締めた。

「いつかの茶色。世界を滅ぼすよう仕向けたのは、お前だな」

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