(137)11-6:こんな世界のためなら

***

 階段の下につめかけていた神ネコさまたちが波打った。

 それはそうだろう、説得がはじまると思っていたら、子ネコたちが自分たちに向き直り敵対姿勢までとったのだから。神と戦って勝った子ネコたちが。

 4匹の周りには毒でも垂らしたみたいにぽっかりと間が空いた。

「茶色。分銅を託されたのはお前だ。いや、責任を負わされたと言うべきだ。ならば身軽な奴らの言葉に耳を貸す必要はない、お前が決めろ。ごちゃごちゃとぬかすようなら相手してやる」

「そうだよ茶色。でも心配はいらない。オイラたちはオイラたちで帰るって決めてるからね。それは茶色にだって覆せないことなんだ」

「常に一緒である必要はないさ。どうしようもなく守りたいもの、貫き通したいことが一致したときだけ力を合わせられればいい」

 それは今だ。

 そう示すように3匹は、動こうとする神ネコさまをにらみつけて牽制し、威圧して、一歩二歩と後退りさせていく。

 だけど思い通りになる神ネコさまたちばかりじゃない。ケーブ・ライオーネルにいなかった、事情を知らない神さまも多いんだ。向けられる視線には『ネコがなにを』という見慣れた嘲りもたくさんあった。

 もちろん、事情を知る神ネコさまも茶色への非難を滲ませていた。あわあわの大渦によって今もつらい思いをしているのだろう、反応は少なくて小さな声にもなっていないけれど、視線はねっとりとまとわりついてくる。『置いてくれよ』『いじわるしないでくれよ』と怨念じみた声が聞こえるようだった。

 怨念が激しさを増したのは子ネコたちを庇うようにマークィーが前に出た瞬間だ。驚く茶色たちの声をかき消して、『弱いから無下にするのか』『いたぶるつもりか』『力で押さえつけるのだな』と、卑屈な怒りが膨れ上がっていく。

 そんなところに、

『こらー! コワい顔するなー!』

『コワいのはだめなんだぞー!』

 と、コドコドたちが飛び出してきた。仰向けに寝転がってがむしゃらに宙を蹴る2匹。どうかすると真面目な顔をしているのもバカらしくなるような光景が一瞬で出来上がった。

 にもかかわらず、気勢を削がれるどころか憎らしげに牙を剥き、あからさまに威嚇をしかける獣も出てくる始末。場は段々と不穏に染まり、『分銅を置かせてしまえばいい』『数にものをいわせれば』と隠す気のない敵意が向けられはじめた。

 そうなると誰が出てくるかは分かりきっている。コロコロと威勢よく転げ回る妹たちに呆れながらも、『やんのかゴラァ!?』と神混みを裂いてやって来たのは『白い群』の神ネコさまたちだ。

『『姉さまは、どうするのかとネコに尋ねました』』

 腹立たしげに声を怒らせるのは、子ユキヒョウの淡雪ネコさまと泡雪ネコさま。そこに、

『それはネコたちに選択を委ねたということでしょう』

 気弱さを忘れたように毅然(きぜん)と、雪雲ネコさまも加わった。さらには、

『その決定は、私たちの存在を賭してでも守らせて頂きます』

 吹雪、という冷気ネコさまの合図でもって、白いピューマが雪を吹き出す。

 吹雪いた風は『白い群』を包み込み、いったんは吹き飛ばされたコドコドたちをもすくい上げると、爆発的に大きくなっていった。やがて10メートルはあるユキヒョウをかたどった。

 すっくと立ち上がる大ユキヒョウ。低い唸り声をあげながら、近場の獣たちを舐めるようににらみつけ、太いしっぽで地面を叩く。縦に開いた口からは、大気を引き裂くような鳴き声が飛び出した。

 それには力の弱い神ネコさまたちだけでなく、明らかに一目置かれている神さままでもが慄いていた。

 だけどまだだ。大渦を抜け出したいという願いが、それを叶える機会を目の前に垂らされて、悲痛なくらい獰猛に膨れ上がっている。

 やめろ、争うな、と雲ネコさまたちが必死に止める声がする。けれど、熱に侵された神たちには届かない。ジャガーネコが飛ばされた。

 そこで誰かが言ったんだ。

『芯を重ねろ! 心を1つにすれば位階を超えられる、あの方の眷属だろうが勝手はさせるな!』

 声をあげたのは、100万匹の集会に来ていた神ネコさまの1匹だったのだろう。自分たちの平和を取り戻したいのだと、そのためなら犠牲を顧みないと、必死な思いがほとばしる。

 おおお、と雄叫びをあげながら“ティベール・インゴッドを置かせる派”の神ネコさまたちが芯を重ねて力を合わせる。

 広場は異様なほどの輝きに包まれた。おそらくはケーブ・ライオーネルで見た100万匹の光を越えている。

 大ユキヒョウが、雲派閥が、味方をしてくれる神ネコさまが、マークィーが、子ネコたちが、その輝きに息を詰め、つばを飲みこんだ。

 そして。

「「「なっ!?」」」

『『『えっ!?』』』

『『『はあ!?』』』

『『『ほあっ!?』』』

 えっ。

 くるっ。

 みんなが目を疑った。

 芯を重ねた全員が、階段下の子ネコたちにおしりを向けたんだ。波打つように、ひっくり返るように、神ネコさまたちが一斉に、背中をむけてあっちを向いた。

 なにが、とかろうじて声をだす灼熱に続いて、疑問の声がポツポツとひろがった。それは通り雨みたいにザァーっとざわめきに変わっていき、その中には今しがたおしりを向けた神ネコさまたちまでもがいたようだ。

『え、だって……あれ?』

 困惑しつつも、『気づいたら当たり前にそうしていた』と言う声がちらほらと聞こえてきたよ。彼らの様子をしばらく眺めていた虚空が、

「だれかれ構わずに芯を共鳴させてしまった、ということか……?」

 と、自信なさげにつぶやいた。『ありえるな』と囁き返す声も。ただ、真偽を考えはじめた周りをよそに、

「え、そしたら今がチャンスってことぉ?」

 果実はひらめき、しっぽを立てた。その言葉にハッとして、

「今のうちだ茶色!」

「言ってさっさと逃げてしまえ!」

 2匹が声を荒らげて階段下を振り返った。

 千載一遇のチャンスだ。態度を決めてしまえばどうとでとなるだろう。そのあとはきっとあの女神さまが出てきて、『もう決まったことです』と冷たく言って、どんな神さまでも『はい』と頭を垂れるに違いない。協力する以外に方法はないんだ。

 そんな期待の目が後ろを向いた。

 けれどそこには誰もいなかった。

 ハチミツさんとコハクさんが階段に寝転がっているだけだった。

 子ネコたちはキョロキョロと周囲を見渡し神ネコさまたちもそれに続く。だけど茶色は見つからない。『逃げたのか?』そんな声が囁かれていた。

 みんなはくるくるとその場で回った挙げ句、お手上げとでも言うように天を仰いでいたよ。その時声を拾ったんだろう。

 祭壇の頂上にある、聖秤フェリスの前に目を向けた。低い階段の上で茶色いマイケルが、お腹を抱えて笑っていたんだ。

「いつのまに」

「どうする気だ」

「なに笑ってるんだよぉ」

 茶色いマイケルは「あはははは」と目一杯笑ったあとで、

「みんな味方になっちゃったね」

 と目元の涙を拭い、広場に背を向けた。左に傾いた天秤へと向き直ると、荷物袋に手を入れる。

 取り出したのはティベール・インゴッドだ。心の奥からは「ダメだダメだダメだやめろやめろ」と執拗に喚く声が聞こえてくる。分銅をつまんだ指先も震えていたよ。

 でも勢いだったんだ。

「あーおかしい。みんなずるいや」

 自分で言っていても、つよがりに聞こえてしまう。

 それでも、勢いでも強がりでも何でもいいと思ったんだ。こんなみんなのためなら。こんなに賑やかな世界のためなら、って。

 救いたいよ。今すぐにでも。

 だから今度は。今度こそは。

 そして――

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