(132)11-1:戸惑い

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 激しく上下する胸をなだめるように撫でさすり、周りを見渡せばそれはもう賑やかな景色に取り囲まれていた。

 銀色のアーチを越えた先、ゴール地点になっている広場には青みがかった光が敷かれ、おびただしい数の神ネコさまたちがつめかけている。おめでとう、ありがとう、おつかれさまと、似たような言葉が繰り返されて、茶色いマイケルは胴上げでもされているようなふわふわとした心地で苦笑いを返していたよ。

 そこに炎ネコさまの放送のでっかい音が響き渡ってくる。今誰がゴールした、誰が何番目で今回のレースはどうだったと、神もネコも一緒くたにして声高に語っていた。

 うごうごと身をこすり合わせ、正気を疑うほどの盛り上がりは、まるで足跡でびっちりと固まった雪の上を見ているようで、疲れていたからかいつになく気が立ってくるのを感じたんだ。

 正面奥、星の芯が怖いくらい静かに佇んでいる。いびつに押し潰された巨大な球体は、硬いのだろうけれど近くで見るといやに生々しいんだ。鼓動をうつように朱に色づいて、また色味を失うを繰り返していた。なんだか酷(むご)いものに見えてしかたがない。

「なに呆けちゃってるのさぁ、茶色ぉ」

 果実のマイケルが、浮かれた調子でポンと背中を叩いてきた。目の前に雲派閥の神ネコさまたちが来ていたことに気づいた茶色いマイケルは、頭の後ろに手を当てて笑った。ウンピョウの雲ネコさまはケーブ・ライオーネルでのことに感謝を告げ、他のメンバーたちもそれに続いてそれぞれにお礼を言う。最後にジャガーネコが低い声を『お前らほんとありがとな』と震わせたとき、

『あー! けものが泣いてるー!』

『けももけもも! 泣き虫だー!』

 ちょっとかわいー、とコドコドたちが割り込んできた。もちろん白い群のみんなも一緒で、『あのねー』とあの後のことを色々教えてくれたんだ。

 話によると、ゴールする前に雷雲ネコさまに会ったらしい。そこで今回の勝負はナシでいいと子ネコたちに伝えるよう言われたのだとか。それから今までのことを謝罪され、だけどやっぱりイジワルをされたことなんかを早口でまくし立てていた。

『しっぽ噛んだらピリッとしたー! イジワル雷雲』

『しっぽの毛がぶわってふくらんだー! ほんとイジワルー』

「へえ」

 他にも何かいろいろ話していた気がするけれど、茶色いマイケルは小さい神ネコさまたちの背中をひたすら撫でながら相づちをうっていただけでほとんど聞いていなかった。そんな中ふと、

『やっと帰れますね』

 と雪雲ネコさまから言われ、

「あれ」

 ふらりとめまいに襲われた。神ネコさまたちの姿がぐにゃりと曲がって足がもつれる。よろけたところを虚空に支えられ、視線が集まるのを感じた茶色は「疲れたかな」と笑って見せながらも、背中に嫌な冷たさを覚えたよ。ただ幸い、注目は子ネコに留まりはしなかった。

『少し、静かにしてちょうだい』

 氷の共鳴みたいな声が、炎ネコさまの声の向こうから聞こえてきたんだ。アナウンスがピタリと止まり、『ありがとう』と聞こえた。

 まもなく神ネコさまたちの壁が割れていく。前にも見たことがある光景だったけれど、中には位階の高い神さまもいるだろうに、みんな一様に一歩か二歩下がり、しんなりと頭を垂れ下げていた。空気がキシキシと凝華していく。茶色いマイケルはなぜかその場から逃げ去りたくなっていた。

 ただ、その口元。首根っこをくわえられてぶら下がった神ネコさまを見たら目を点にするしかない。周りのみんなもしっぽで“?”を作っていたよ。

『風、さま?』

 吹雪ネコさまの驚く声で、コドコドたちが声をシンクロさせて笑い出した。特等神であることを考えるとなかなかに情けない格好だからね。風ネコさまは、取り残された洗濯物みたいにぶら下がったまま、茶色いマイケルと目が合うとプイとそっぽを向いた。

『さあ、謝りなさい』

 白のユキヒョウは子ネコたちの前までくるとパッと口を開いた。宙にペタンとおしりをついた風ネコさまは、『なんで』と言ってむくれている。ただし次の瞬間には太いしっぽで地に叩き落されていた。光る地面が割れて淡い水色の飛沫が舞った。

『後悔するわよ』

 幅広の足でむぎゅっと踏みつけられる風ネコさまは、『いてー』と本気かどうかは分からない痛がり方でジタバタし、それから茶色をチラッと見て、

『……もう蹴らねーから』

 ムスッと言ったんだ。

 困った子、というため息とともに白の足先が外れると、風ネコさまはすばやく宙に飛び上がり、茶色いマイケルのフードの中へと身を隠した。なにかブツブツ言っているけれど、この状況じゃあ何を言っても説得力はないからね、思わず笑みがこぼれてくる。

 胸のつかえが取れていくようだった。やっと息が整ってきたかとホッとして、息苦しさが晴れていく。だけど。

『とっとと終わらせろよなー』

 その、強がりだとはっきり分かる、なんてことのない囁き声が、ずっぷりと乱暴に心臓を貫いてきた。返しのついた鋭い針が、喉から入って突き刺さったんだ。息が、できなくなった。

『こっちよ』

 茶色は、白のユキヒョウのあとに続く晴れ晴れとしたマイケルたちの後ろ姿を溺れるように追いかけた。遅れてはいないはずだった。なのに歩を進めるほどに、彼らの背中は遠くなっていく。

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