(104)8-22:罪過の分銅

***

 ずっと気になってはいたんだ。ティベール・インゴットを秤に乗せることにどんな意味があるんだろうって。

 時の女神さまは、『世界の行く末を握る鍵』だと言っていた。

 オセロットは、『秤に乗せるだけでは世界は救われない』とも言っている。

 秤に分銅を乗せること。世界を救うこと。この2つは直接は繋がらない。2つの間には深くて大きな大きな溝がある。その真っ暗闇の裂け目をうまく飛び越えられれば、焦がれてやまないキラキラした世界が待っているはずだ。だけど飛び越えられなければ……。

 きっと、溝には狭いところと広いところがあるんだろう。飛び越えられる場所は限られているんだ。

 役割の、真の意味。

 それが“飛び越えられる場所”の位置を示しているのだろうか。その意味を知らなければ溝の中に落っこちてしまうしれない。暗闇に消えていくマイケルたちの顔を想像すると、ひざを抱えた腕にぐっと力が入る。

 わずかな光しかない樹洞の最奥で、茶色いマイケルは腰に下げた道具袋をそっとお腹の上に抱えこみ、向かい合うオセロットの言葉に耳をそばだてた。

『ティベール・インゴットとはただの分銅ではない。“罪”を“重さ”へと変える変換器なのだ』

「変換器」

『そう、所有者が対象を見て、「そこに罪がある」と感じとった時、インゴットに“重さ”が加えられる。所有者の心が揺れれば揺れるほど分銅は重くなっていく。

 そしてその所有者には、罪や罰を断定的に判断しない程度に“無垢な器”をもち、レースを完走する力のある者が選ばれた。茶色いマイケル、お前だ』

 視線が集まるのを感じてつばを飲み込む。オセロットはさらに『選ばれた理由をさらに詳しく聞きたければゴールしてから選んだ神に聞いてくれ』と言った。

「では、“対象”というのはやはり」

 灼熱のマイケルが抑えた声でつぶやく。

『罰を受けている神々のことだ。つまり、神々の行いが茶色いマイケルの目にどう映るかによって、ティベール・インゴットの“重さ”が変わってくる』

 そして、と声を強くする。

『その“重さ”は、秤で量られる。秤はあわあわの神と繋がっており、その傾きによって、罰の継続か、赦(ゆる)しか、裁定が下されるのだ』

 あわあわの神さまに、「罪はありませんでした」と訴える。

 その証拠として罪を集めた分銅を秤にかける。

「じゃあ、あわあわの神さまに『ゆるす』って言ってもらえたら……』

『ああ。神たちは表の世界で秩序を取り戻す。他の神々への影響もなくなり、あわあわの大渦はおさまるはずだ』

 それって、世界が……!

 頭の中に描いていた大きな溝に、向こう側へと渡れそうな場所を見つけた気がした。ここなら飛び越えられる。

 茶色いマイケルが明るい顔をする一方で、話はまだ終わらない。

「では、神さまたちの行いを茶色に見せ、分銅を秤に置かせる、それが時の女神さまたちの計画ということですか?」

『そうだ』

 その言葉に果実のマイケルが前のめりになる。白い毛が影でしわばんで見えた。

「でもそれってぇ、あわあわの大渦を絶対に止められるって事にはぁならないよねぇ。茶色の見た罪が重かったらぁ『ゆるさん』って言われちゃうんでしょぉ?」

 その声はうかない。さらに灼熱のマイケルも、口をむっと持ち上げた声で言う。

「そもそも神たちは何百万回も罪を犯してきたのだろう? ならば今回も罪を犯すと見るべきだ。それとも偶然なんぞに身を委ねろとでも言うのか」

「あっ、もしかしてぇ他の神さまたちが力を合わせてぇ雷雲ネコさまたちが罪を犯すのを食い止めてくれるとかぁ? そしたらオイラたち、罪が起こるところを見ずにゴールできるかもぉ」

 なるほど、と珍しく灼熱のマイケルが手のひらを打った。だけどオセロットの首は左右に振られた。

 どういうことだと首を傾げる灼熱と果実。しっぽも曲がり、洞の内側のうねるような樹皮の模様が、子ネコたちの戸惑いを煽るようにゆらゆらと動いて見えた。遅れて理解した茶色いマイケルも、そのぐにゃぐにゃに取り込まれてしまいそうだった。そこに、

「もしかすると本来、俺たちは脇目も振らずゴールを目指すべきだったのか……?」

 虚空のマイケル。緊張した声だ。

「たとえばだが、“罪の行われるレース”に放り込まれて、その罪に一切関わらずゴールする。神たちより先にな。するとティベール・インゴットに重さは加わらない。見ていないのだから当然だ。それならば、あわあわの神も『罪はなかった』と判断するだろう。と、そういう計画だったのでは……」

 手遅れ。

 そんな言葉が頭をよぎり、口の中が乾いてきたよ。なのに、

『計画の詳細までは俺も知らない』

 オセロットの答えは素っ気なかった。あれだけ苦しみながら一生懸命伝えようとしていたのが嘘のように興味を失っていて、前足をなめている。

 なにか変だ。

 それを言葉にできたのは虚空のマイケルだった。

「いやまてそうじゃない。今考えるべきは――茶色、君はここに来るまでの出来事で、『神の罪』と言われて思い浮かぶものはあるか?」

 神さまの罪。

「ネコの罪ならば腐るほど見たが……」

「神さまの悪さといえばぁ、パティオ・ゼノリスで襲われたよねぇ。追っかけ回されてさぁ」

「しかしなぁ、あれもフタを開けてみれば罪とまでは言えんような……」

「いやいやぁ、決めるのは灼熱じゃなくって茶色なんだからさぁ」

 チラッと白いガーゼが目の端っこに映った。

「あ」

 思い当たった茶色いマイケル。するとオセロット――小雨ネコさまはジリ、と前足に体重をかけてこう言った。

『神同士のいざこざを知らされても罪とは思えなかったかもしれない。身に覚えのないことで襲われたとしても、今が無事で、理由に納得できたのなら怒りもしまい。

 だが今、思い出して腹が立っただろう。

 それはそうだ。強者が弱者を一方的に痛めつける姿、それも自分たちと同じ姿形をしたネコが、玩具のように扱われていたのだからな。自分と重ねるまでもなく痛みを感じ取ったはず。あの神たちに対して、あるいはその後ろにいる神に対して怒りを抱くのは当然だ。茶色いマイケル』

 なぜかビクッとして背筋が伸びた。

『あの時、お前は、かの神たちに罪を感じたはずだ』

 マルティンさんを見ると目が合った。笑いに力はなく苦々しい。頬に幅広のガーゼ当てて、顔の半分は包帯で巻かれている。脇腹に差し込んだ右手はまだ痛みが引いていないことを示していた。

 細身の獣、ジャガランディに首根っこを噛まれて振り回され、大木に打ち付けられたところを思い出す。ふつふつと湧いてくるものがある。

 そうだ、たしかに。あれは――。

 茶色いマイケルは言い切ることはせず、別の場面を思い出す。

「で、でも神さまは、助けてもくれた」

 『白い群』のネコさまたちだけじゃない。クロヒョウたちやジャガーネコ、それに風ネコさまだって助けるのを手伝ってくれた。そうだ、神さまは助けてくれたんだ。

『それをどう判断されるかは俺にもわからない。罪と善行。差し引きゼロで見てもらえる可能性もなくはない。試してみる価値はあるかもしれない』

 声は冷ややか。

『だが、“お試し”で分銅を置くことはできるのか?』

 肩が跳ねた。

『お前たちはヤツらの行いを見すぎてしまった、今言えるのはそれだけだ。なにも断定はできやしない。しかし、もしも罪があると感じてしまっていたのなら』

 ギクリとする。

 もしかして、もう手はないのかも……。

『対象の神の意識を変える必要がある』

「神さまの、意識を、変える?」

コメント投稿