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「余波、って?」
「時の女神さまが言ってたことぉ、覚えてるぅ? ほら、神さま同士で影響を、って話」
果実のマイケルの言葉で茶色いマイケルがピンとくる。
――大地が火を噴けば空に塵(ちり)がひろがり、風に乗って海へと降りそそぐ。それによって神の在り方も変わります。神とは絶対ではなく、互いに影響を及ぼし合ってはうつろいゆく、陽炎のような存在なのです。
「だからぁ一部の神さまがおかしくなってるってことはさぁ」
果実の視線がつうっと流れる。オセロットは小さな頭をしっかりと前に倒した。
『“繰り返し”は必ず変化をもたらす。長雨が岩を叩いてその表面を滑らかにするように、あるいは水に運ばれた泥が小川の片隅に堆積していくように、すべての事象には変化がつきまとう。それが“不変”でない限りな。
“罪と後悔の繰り返し”によって大空の神たちは気を狂わせた。それは世界に余波となって広がり、周りの神々は在りかたを変えられていったのだ。大空が、大地が、風が、世界を覆うこれらがどれ程の影響力を持っているのかを考えてみるといい』
「とても、わずかとは言えんな」
重さをもった空気を飲みこむ子ネコたち。それを待って、オセロットは言い放つ。
『そう、この余波こそが――』
――ぽつり。
水面に落とされた雫が波紋をひらく。
中心に生まれた歪みは捻れにかわり、ぐるぐるぐるぐると渦をまいていく。広がっていく。削り取るように大きくなっていく。周りのすべてを歪みに巻きこみながら渦は大きく大きく育っていく。
いったいどこまで飲み込むのだろう。
そんな不安を心の奥から引き出して、煽るように渦は大きくなっていく――。
『『あわあわの大渦』は広がり続けている。このままでは“繰り返し”は終わらない。たとえ崩れゆく世界を巻き戻し、形を整えたとしても、神たちは同じことを繰り返すだろう。そして世界は変わらず同じ運命を辿ることとなる』
背骨を駆け上がってきた悪寒が、脳髄に、時の女神さまの玲瓏(れいろう)な声を響かせた。
――時を巻き戻し、やり直しをお願いすれば現状を変えることは出来るでしょう。
あれは、現状(いま)しか変えられないという意味だったんだ。
――たとえ願いを叶えたとしても、こうなってしまった世界は救えません。
ゴールして、世界の安定を願っても、一時しのぎでしかない。
――渦は、他の神々を巻き込みながら今も広がり続けています。やがて私も飲み込まれてしまうでしょう。
神さまさえ飲み込んでしまう大渦だ。星を巻きこみ宇宙さえねじ曲げて、やがては時間の流れさえ。こんなのいったいどうやって――。
「待ってくれ」
大渦に流されかけた茶色いマイケルを引き戻したのは灼熱のマイケルだった。長い赤毛をくしゃっとさせて、あぐらをかいた膝頭を両手でガシッとつかむ。
「あわあわの大渦が問題なのはわかった。だがどうも腑に落ちんことがある。どうして周りの神たちは動かんのだ? レース中に記憶を消されてしまう大空の神たちが罪を繰り返す、これは仕方のないこととしよう。自覚のないことを変えるのは困難だからな。だが周りの神たちは忘れているわけではないのだろう? 止めればいいではないか。『罰が下るぞ』と言って説得すれば――」
『真実を、直接告げてはならないのだ』
その一言でオセロットの息づかいがまた一段と荒くなった。「ああ、これも」と頭の奥でカチリとはまる音。
灼熱のマイケルも思い当たってはいたんだろう。腕を組み、ボロボロの道着をしわしわにして「むぅ」と唸る。話を継いだのは虚空のマイケルだ。
「だとしても、やり方はあるのではないでしょうか。たとえば無理矢理に引き留めてしまえばいい」
「だ、だけど相手は大空ネコさまたちだよ?」
大空ネコさまたちといえば特等神や一等神、上位の神さまたちの集団だ。それを相手にできる神さまがどれだけいるんだろう。
「思い出してみてくれ茶色。ここでは権能の使用を禁止されているという話だったろう。ならば直接だ。力が劣っていたとしても数で補えばいい。文字通り足を引っ張るなり道を塞ぐなりすれば行動自体を止めさせることくらいは可能なはずだ」
『確かにな』
その一言で、道が開けた気になったのは早合点としか言いようがない。
『そうした神もいた。過ちを止めさせたことはあるのだ』
誰も、「どうなったのか」と尋ねようとはしなかった。
『彼らは今、大空の神たちと共に罰を受けている。物言えぬ神となってな』
ハッとして顔ごと視線を移す。
樹洞の入口、銀色の木々を映す窓のように空いたその穴に顔を向けると、右の壁際、足元に伏せり、身を寄せ合う3匹の姿がある。目も鼻もなく真っ黒なクロヒョウたちは、上目遣いにこちらを見ていた。もちろん喋りはしないし鳴き声もあげない。
「なぜそんな。彼らは被害の拡大を防ごうとしただけのはず、それは善行ではありませんか」
オセロットは小さな頭を左右に振った。細い首が頼りなく揺れる。
『俺たちにあわあわの神の真意ははかれない。かの神は、神にとっての神なのだ。“罰の妨害”と受け止められたのではないかと、そのくらいの予想しか立てられない』
口を挟む者はいない。神さまにも分からないことなんだ。
『その後も、幾度か似たような試みをとった神はいる。正面から足留めをするのではなく、罠を仕掛けたり、嘘の情報を流したり、手を尽くしはした。成果はあったのだ。その時は罪を止められた』
しかし、と音が途切れる。
『次のレースでは再び、大空の神たちは記憶を無くしており、やはり罪は繰り返された。不毛だよ。ただ一度(ひとたび)の罪を止めるためにもの言えぬ神が増えていく。それでは意味がない。そぼ降る雨の中、空を見上げて手を掻いて、黒雲を払おうとするようなものだろう。雨が止むことはないのだ』
やがて周りの神さまたちも口を閉じ、関わろうともしなくなったらしい。
口で言っても止まらない。押さえつけても止まらない。罠にかけても無駄だった。そのたびに犠牲が増え、だけど何もしなくても被害は増えていく。
「そんなの、手の打ちようが……」
こぼれた言葉に他のマイケルたちもうつむいた。みんなから力が抜けていくのが分かる。
『それでもどうにかしたいと思っている神は多い』
「でも、だからって」
思っているだけじゃあ何も変えられないよ。心の声はいつになく投げやりだ。
『いや、すでに計画は動いていると言うべきだな』
ふと、オセロットの身体に瞬間的に力がみなぎった気がした。それは決して元気になったからじゃない。そうしないと立っていられないからだろう。だけどその器の中に降っている雨の糸は、茶色いマイケルの瞳に銀色の輝きを照らし返したよ。
『神たちは画策した。罰を受けないわずかな隙間を見定め、少しずつ少しずつ状況を動かして世界を取り戻す計画を進行してきたのだ。おまえたちも知っている神々によって』
時の女神。
オーロラの神。
地核の神。
そして、と視線を向けた先、地面に伏して話を聞いていた小さな神ネコさまたちが顔を上げ、さらに2匹の子ユキヒョウが『『あっ』』とつぶやいた。
オセロットは茶色いマイケルを、他の3匹の子ネコたちを見て言った。
『“罪過の分銅”ティベール・インゴット。それを託されたお前たちの役割の、その真の意味を教えよう』
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