(101)8-19:雷雲の罪 後編 削られた神格

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 誰かの身じろぎだろうか、ギリリという木のきしむ音が、湿った空気をかすかに震わせた。光はうすれ、ネコたちを暗い影が少しだけ遠くに連れていく。

 話は一応の大団円を迎えた。雪雲ネコさまたちが失われることはなかったんだから、良い結末だったと言っていいだろう。

 けれど不気味に影を残すものがある。

「ねぇ風ネコさま。雷雲ネコさまは、その施設でなにをしていたんだろう」

 細神たちを集めて箱に入れ、怖がらせようとしていただけ、というのも雷雲ネコさまの性格を考えるとありえる。子ネコは眉間にシワをつくった。

『あー、そういやアレなんだったんだー?』

 風ネコさまの視線の先、質問にはかすれた声が返ってきた。

『存在を削って力に変えていたのだ』

 削る。

 存在を削る。前にもどこかで聞いた言葉だ。

「『存在』って要するにぃ、オイラたちネコでいうところのぉ命ってことでいいのかなぁ」

 果実のマイケルの確認にオセロットはアゴを引いた。

「雷雲の神の求めるものはやはり『力』ですか。“執念”だと仰っていた意味がよくわかります、どこまでいってもそればかりだ。ですが他者の命を失わせてまで得たいものなのでしょうか。いったい何に使うというのか」

 虚空のマイケルが重く息を吐く。それをため息ととらえたからか、オセロットは答えなかった。

「しかし神たちを攫(さら)ってとなると、他の神々も激怒したのではないか? 神たちにも眷属といった身内意識があるようだしな」

 灼熱のマイケルは険しい顔つきだ。

 思い出すのは唸り声。雷雲ネコさまの話をしただけで『白い群』のネコさまたちは唸っていた。それも何度となく。

 大切な存在だからだろう。家族や仲間だけじゃなく、普段はあまり話もしないちょっとした知り合いのことだって命を奪われかけたと聞かされれば心穏やかではいられない。

 『白雷の矢』を撃たれたときのことを思い出す。ひっきりなしに放たれる攻撃に、果実のマイケルは足をバタバタさせながら避けていた。

 そんな涙目の子ネコをみて雷雲ネコさまは『踊れ踊れ』と笑っていた。死んでも構わないと思っていたのかもしれない。

 あのとき割って入ったのは灼熱のマイケルだったけれど、茶色いマイケルだってイヤな気持ちになった。怒りもする。今だってそうだ。どれくらい前の話かは関係ない。大切なんだ。失わせたくない。

 神さまたちも仲間を害されたと聞いて怒ったに違いない。

 けれどオセロットは首を横に振る。

『ほとんどの細神たちは自ら進んで箱に入った』

「えっ」

「ありえない」

「なんでぇ?」

「自ら命を差し出したと? 脅されてか」

 脅し。それもあの神さまのしそうなことだ。だけど。

『脅しのほうがまだ優しい。彼らは“そうしなければならない状況”に置かれていた。いくつもいくつも恩を押しつけられてな』

 ついさっきマルティンさんが言っていたこと。

 ――少しずつ少しずつ頼んでもいない恩を着せられていった。そのたびに私の発言権はやせ細る。やがてはアレをしろコレをしろと命令される立場になり――。

『言ってみれば好意を装った貸つけだ。「どうするか」と問われれば「はい」と言うしかない心境に追いやられる。そこで断るのは不義理だと思い込まされる』

「恩のあるネコの頼みはぁ断りづらいもんねぇ」

 恩の貸つけ。

「利子は考えたくもない」

『アイツの思うように動かされ続けた神たちは、やがて考える頭を奪われる。一から十まで雷雲の価値観を植え付けられて、それを絶対と信じ込まされるのだ。『教育』と言い換えてもいい。何を言われても“この神の言うことだから”と心から信じ切ってしまい、普通に考えればありえないことも受け入れてしまう』

「ずいぶん歪んだ教育もあったものだ」

「悪意をもって使えば信頼も凶器となる、か」

 虚空のマイケルが腕を組んで唸る。その顔はうつむいた成ネコを心配しているように思えた。

『死ねと言われれば死ぬし、殺せと言われれば殺しもする』

 茶色いマイケルは「ひどい」と身を乗り出していた。頭の中をネコ・グロテスクたちの姿が駆けめぐる。

 ネコミイラ。

 ネコゾンビ。

 トルドラード・ミーオたち。

 ネコソルジャー・デス。

 そしてネコ救世軍。

 ネコに怨みを抱いたたくさんのネコたちを見てきた。彼らはみんな、自分以外の誰かに命を使われていた。

 お腹の中身を売っていたナカミウリの子ネコが、ドン、と抱きついてきたあの痛みを思い出す。胸に頭を押しつけて『買って、買って』と訴えかける。そんな子ネコの後ろでは、真っ黒なドロドロの何かが、

 ――さぁ、あなたの中身を売りなさい。

 と囁きかけていたんだ。

 それはいいこと? わるいこと?

「そんなこと、誰かに決めさせちゃだめなんだ」

 茶色いマイケルはハッキリと言葉にしたよ。それほど大きな声じゃない。他のマイケルたちも「そうだ」と小さくうなずくくらいの勢いだ。

 だけど1匹だけ明らかに動揺したネコがいた。そちらを見たらもう目を逸らしたあとだったけれど、にらみつけるようでいて、驚いたような、悲しむような、複雑で奇妙な表情を、確かに茶色いマイケルに向けていた。

 話はオセロットへと戻る。

『雷雲は、風の神に叩きのめされたあと、目立つまねはしなかった』

 普通はそうだろう、といくつかの頭が頷いた。

『だがその執念は“時”に先を譲らない。凶行は陰に潜んで続けられたのだ』

 誰とも繋がりを持たない細神たちを連れてきては黒い箱の中に詰め込んだという。さらには、より多くの力を得るために企んで、手を回し、協力者をつかまえ、自らの代わりに実行させたとも。

 その中にはネコもいたと聞き、茶色いマイケルはドキリとしたよ。正気を失ったネコが玩具のように手足を動かされ、いいように使われる生なましい姿が浮かんだんだ。

『そしてあの日がきた。大空の神を、大地の神を、築き上げた地表派閥をすべてまきこんだあの日がな。敵味方なく神たちを欺き、そこにある強大な力に手をかけたあの日――その全てがあわあわの神に露見した』

『そんで? そのこととお前が『俺は雷雲だ』って言ったこととどー関わって』

『雷雲は、罰として神格を削られたのだ』

 焦れったそうに先を促す風ネコさまの声を、オセロットの静かな声が押しのける。顔を上げたのは白い群のネコさまたち。

『神格を分割された、と言ったほうが分かりやすいか』

 茶色いマイケルもハッとする。その瞳を正面でとらえたオセロットは、

『俺は小雨の神。俺は罪そのものであり罰そのもの。雷雲の中にあった雨を削って生まれた細神だ』

 言って、前足を折ってその場に倒れこんだ。

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