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メロウ・ハートの廃都市と果実のマイケル メロウ・ハートの廃都市と果実のマイケル

***

「お母さんネコはどうして死んだの?」

 答えるネコはいなかった。ピッケは下を向いたまま、

「お母さんネコはまたここに来たかったんじゃないの? お父さんネコが壊さなきゃ、お母さんネコはまたここに戻って来られたんじゃないの?」

 と重く訴えかける。そして、

「なんでも叶えてくれる場所があるならね、全部ぜんぶ直してもらいたい。街がキレイだった頃に戻れば、お父さんネコが壊すこともなくなるし、お母さんネコだって死ななくていいんだ」

 静かな声で言った。「そしたらまた、みんな一緒にいられる」って。

 ずっと1匹で考えていたんだろうな。ああなればいい、こうなればいい、もしこうだったら……って。あの天井のない家の、ボロボロのベッドの上でさ。

 その想像が的外れだったとしても、いや、だからこそかな。想い重ねた分だけ、ズシリと胸に響いてくる。

 頭に浮かぶのはピッケと同じでお母さんネコのことだった。考えちゃいけない、願っちゃいけないって分かってても、やっぱり頭に浮かんでくる。その小さな身体に、お母さんネコのことを考えていた頃の、茶色いマイケル自身の姿が重なって見えたんだ。

「ならばなおさらだ」

 固い声は灼熱のマイケルだ。さっきまで見え隠れしていた柔らかさが消えている。

「死んだネコを生き返らせることほど世の摂理に反したことはない。それは絶対に侵してはならないルールで、犯してはならない罪だ。そこに立ち入ってしまえば何でもアリになってしまう。何でもできるという自惚れの先にあるのは価値観の崩壊だ。お前にとって周りのすべてがとるに足らないものになってしまうぞ。それはこの荒廃した都市よりもさらに虚しい景色だ。お前の心が変わらんというなら力づくにでも分からせてやる」

 灼熱のマイケルに動き出す様子がなかったから茶色いマイケルも動かなかったけれど、驚きで言葉が出なかった。

 どうして? って心臓が止まるかと思った。そこまで? って。

 言葉を引き継いだのは果実のマイケル。

「死んだネコは戻らないんだぁ。みんなで泣いて、土に埋めて、手を合わせるくらいしか、オイラたちに出来ることはないよぉ」

 語尾の音が消えてなくなる前にまた、灼熱のマイケルが口を開く。

「世の中には変えられるものが数多くある。だが、変えられないもの、変えてはならないものがあるというのも忘れてはならん。それらの違いを考えろ。想像しろ。学べ」

 ピッケ、と。

 これで話は終わりだとでも言うようにプツリと音が途切れた。いいや、プツリという音は茶色いマイケルの頭の中だけで聞こえたのかもしれない。

 幕が下りるように訪れた沈黙の中、

「寄ってたかっていじめるみたいにさ……」

 ぼそりとこぼした一言に、視線が集まるのを感じた。握りしめた肉球は、痺れて感覚がなくなってる。

「どうして。なんでなの。だってピッケは……」

 顔を上げると灼熱のマイケルと目が合った。右に果実のマイケルがいて、視界の左端にはカラバさんがぼんやり見えている。3匹と2匹。見えない線で分けられたみたいだ。画面の向こうとこっち側で、吸っている空気が全然違う。感じてる温度も、匂いも、何もかも。

 分からない。

「……お母さんネコを亡くしちゃったんだよ。そんなの悲しいに決まってるじゃないか。戻したいって思うでしょ。それくらいいじゃない。分かってあげられらない? 分かってあげられるでしょ。みんなにもお母さんネコいるよね。お父さんネコだって、兄弟姉妹ネコだって、他にも大事なネコがいればさ、分かるでしょ……なんでなのさ!」

 ヒゲを下げる果実のマイケル。灼熱のマイケルは固めた表情を動かさない。

 茶色いマイケルは一瞬めまいがして、それから向きを変えた。

「話がおかしいんだよ。いったいどうしてなの? 大空の国に行くっていうだけの話でしょ? そりゃあ『大空のマタタビ』とか、必要なものがあるっていうのは分かるよ。それを持ってなければあの部屋を通れないっていうのもね。でも十分にあるんでしょう? 自分で持ってないからダメなの? それならボクだって持ってない、自力で行けるのは灼熱と果実だけだ。なのにボクは行けてピッケはダメ? そんなのおかしいじゃないか。あわあわの世界でなんでも叶うんだったらさ、ピッケこそ行くべきじゃないの? ボクの代わりでもいい、行かせてあげてよカラバさん」

 カラバさんを見れば、表情はやっぱり変わらない。カァッ、と顔が熱くなるのを感じてつい声を荒げていた。

「いじわるしないで行かせてあげてよ!」

 のどの奥が渇いてくっついて、もしかしたら切れて血が出ていたかもしれない。メロウ・ハートには水が少ないし、シチューを食べて以来、ずっと飲み物を飲んでいなかったんだからね。

 お兄ちゃん、って聞こえた気がした。

 糸よりも細い声で、衣擦れの音のほうがよっぽど大きかったから、もしかしたら聞き間違いかもしれないけどさ。だけど茶色いマイケルはそっちを見なかった。カラバさんの口が、少し開いたんだ。

「一緒には行けるのです」

 前にのり出す。

「だったら!」

「代償がいるのだろう」

 灼熱のマイケルの差し込んだ”代償”という気味の悪い言葉に、ぞわりと背中の毛が逆立った。

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