4-53:あわあわの世界へ

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 カチ、コチ、カチ、コチ

 カチ、コチ、カチ、コチ

 茶色いマイケルははじめ、また星の外に連れて来られたのかと思ったよ。

 瞬きをしたら闇の中にいたんだ。

 しばらくすると暗闇に目がなれてきて、いくつかの扉がぼんやりと浮かんでいるのがわかった。さらに目を凝らすと、そこにはたくさんの『世界の大時計』。時計は星々のようにそこかしこに浮かんでいて、大きさもまちまちだ。本当に小さいのか、それとも遠くにあるだけなのかは分からなかった。

 いったいここはどこだろう、とキョロキョロしていると、

『ようこそいらっしゃいました』

 正面から声をかけられた。息をつめたのは突然だったからじゃない。

「「「ピッケ!?」」」

 声の主が、メロウ・ハートで過ごした3匹のよく知る姿だったからなんだ。

 だけどあの子ネコじゃない。

 それは一目でわかったよ。目が違うんだ。怖いくらいぼーっとしてて、顔は茶色いマイケルたちの方を向いているのに、なんていうのかな、4匹だけじゃなく、この部屋全部を、ううん、この世界全部を見ているような、そんな目だった。

 だから自己紹介をされる前に、それが誰なのか分かったよ。

『はじめまして、私は時の女神』

 ピッケの姿をした女神さまが、大人びた微笑みを顔に浮かべた。

 その瞬間。

 本当に咄嗟のことだった。

 茶色いマイケル自身、予想もしていなかったと思う。

 その名前を聞いた瞬間、身体の中を煮えたぎった何かが、フタをしても押さえつけていられないくらいの勢いで湧きあがってきて、

「お願いっ! 世界を元に戻してぇっ!!」

 と叫んでしまっていた。

「「「茶色!?」」」

 驚きの声が一斉に向けられる。

「時間を止めてくれたのって時の女神さまだよね!? 出来ないって聞いてたけど……ううん、そんなことはどうでもいいんだ! お願いだよ、みんな大変なんだ! みんなオレンジ色に飲み込まれちゃう! みんなみんな……みんななんだ!」

 想いが先走ってうまく言葉にならない。

「時間を止められるんだったら時間を戻せるよね!? お願い、どこか……どこからやり直せばいいのか分からないけど、今度はきっと、もっとちゃんと出来ると思うから!」

 お願いだよ、と強く叩きつけるように叫んだよ。

 時の女神さまのせいじゃないのにさ。

 こうなることを選んだのは……。

「……よせ。茶色」

 灼熱のマイケルの声はほとんどつぶやきみたいなものだった。続けて誰かが口を開く気配がしたんだけど、

『そうですね。時を巻き戻し、記憶を残したあなたたちにやり直しをお願いすれば、現状を変えることは出来るでしょう』

 話を引き継いだのは時の女神さまだった。

『大地の神が崩れ、世界の殻が破れて地核の神が引きずり出されようとしている今、茶色いマイケル、あなたの言う通りネコたちに甚大な被害がでることは明らかです。他の神たちも集まってきており、さらには大空の神の参戦も間近となれば大戦は避けられません。いいえ、星の崩壊は秒読みに入りました』

 時をつかさどる女神さまがピシャリと言い切る。

 それは恐ろしい事だったけれど、その言葉の向こうに期待してしまったのは、茶色いマイケルがまだ子ネコだったからかな。

 でもその期待もまた、ピシャリと切り捨てられた。

『ですがこれが最善です』

 頭に穴が開いたかと思ったよ。ぽーん、とね。

 それでも湧き上がってくるものの方が速かった。

「最善って……そんなはずないよ、何もかもなくなっちゃうんだよ? ネコも、神さまも、星だって!!」

 気付けば本当に飛び出しちゃってたみたいで、両腕としっぽをそれぞれ他のマイケルたちに掴まれていた。

「待て茶色、まだ女神さまの言葉は終わっていない!」

「そうだよぉ! ね、女神様、あわあわの世界で願いを叶えればいいとか、そういう話なんでしょう!?」

 茶色いマイケルはハッとして時の女神さまを見遣ったよ。

 そうだ、あわあわの世界。

 どんな願いでも叶うっていう、真実の物語のあるところ。

 そこにいけば……! 

『いいえ、たとえ願いを叶えたとしても、こうなってしまった世界は救えません』

 ピッケの姿をしたときの女神さまは、2度、頭を横に振った。

「そんなぁ……」

 それには少なからず灼熱のマイケルたちも驚いたみたいで、茶色いマイケルをつかむ手が弱まった。するりと抜けてそのまま飛びかかることもできたと思うんだ。でも、そうする力はなかったよ。力は指先から下に落ちちゃったらしい。

 ただ、時の女神さまの話は終わりじゃなかった。

『神たちが変容してしまっているのです』

「……変容?」

 時の女神さまはピッケの顔でコクリとうなづいた。

『大地が火を噴けば空に塵がひろがり、風に乗って海へと降りそそぐ。それによって神の在り方も変わります。神とは絶対ではなく、互いに影響を及ぼし合ってはうつろいゆく、陽炎のような存在なのです。しかしそれは、長い”時の目線”でながめた場合であって、短い時しか生きられないネコがその”うつろい”を目の当たりにするなど、本来であればありえないこと』

 それが今起こっている、と。

『かの神たちは”あわあわの大渦”にのまれているのです。その渦は、他の神々を巻き込みながら今も広がり続けています。やがて私も飲み込まれてしまうでしょう』

 茶色いマイケルがその意味を必死になって考えていると、いつの間にか時の女神さまは目の前にいた。ただ、驚くよりも先に、差し出された物に目を惹かれたんだ。

 それは黄金色の像だった。

 子ネコの手の平の、その真ん中の肉球の上に乗るくらいの、小さな像。

 そこには、2匹の神ネコさまがお互いのしっぽを追いかけ回している様子がかたどられていた。∞を描くようにグルグルと。いつまでも。

『これはティベール・インゴット。神たちの、いいえ、世界の行く末を握る鍵となる分銅です』

「世界の行く末、ということは……」

 声は虚空のマイケルだ。何に気付いたのかは時の女神さまが教えてくれた。

『はい。世界はまだ終わっておりません。救う手立てがあるのです』

 思わず身体が震えたよ。

 ――世界は、まだ、終わってない。

 きっとみんなも力が入ったはずだ。

 だったら、4匹で……ってね。

『これをあなたに託します。茶色いマイケル』

「ボ、ボク!?」

『はい。あなたに』

 その一言があまりに強いものだったから、茶色いマイケルはなんだか「あなたのしでかした事なんですから」って責められた気分になった。だけど、

『勘違いしないで、茶色いマイケル。さきほども言ったように、あなたの選んだこの道は最善なのです。そうでなければ、あなたたちマイケルに揃って会うことは出来なかった。だから下を向いてはいけません』

 時の女神さまはティベール・インゴットと言われたその像を、茶色いマイケルの手の中にしっかりと握らせ、それから頬っぺたを両側から支えるように持ち上げ、うっすらと微笑んだ。

『あなたがこの像を持っていることに意味があるの。決して他の誰かに渡してはダメ。それを持ったまま、あなたの目で真実の物語を見ていらっしゃい』

「真実の、物語を……」

『そうです。真実の物語を。真実の神々を。世界の本当の姿を見てくるのです。そしてあなたたち』

 ピンッと音がした。3匹のヒゲだ。

『世界に約束を果たさせて。そして、どうか茶色いマイケルの力になってあげて』

 世界に約束……?

 と首を傾げたのは1匹だけだったらしい。

 他のみんなは茶色いマイケルの後ろで、

「「「もちろん!」」」

 と力強く、声を三つ重ねたよ。

 その返事があまりにも早かったものだから思わず、時の女神さまの手をほっぺたに残したまま振り返っちゃった。みんな意味がわかってるのかな。茶色いマイケルは分かってないんだけど。

 頭の中がごちゃごちゃしだしたそんな時。

 カチリ

 一瞬、すべての世界の大時計の音が一つに重なり、そして止まった。

『さあ、あわあわの時間が動き出しますよ』

 すると、そこかしこにある世界の大時計が、光の線と線とで繋がれていく。

 そうして出来た不揃いの図形がポロリと落ちた。一つ、また一つと、ジグソーパズルのピースがぽろぽろと崩れるように、宇宙みたいなその部屋に、光の穴があいていった。

『忘れないで。姿かたちは違っていても、私たちは同じ。同じ一つなのです』

 光の線は茶色いマイケルと時の女神さまとの間にもスッと引かれ、そこに出来た大きな三角形もまた、ポロリと落ちて光の穴となる。

「女神さまっ!」

 茶色いマイケルは思いきり手を伸ばしたよ。今の今まで目の前にいたんだからすぐに届くはずだった。だけど、伸ばした指先との距離は、とんでもなく開いていた。

『本物の冒険をしておいで』

 時の女神さまは、クスクスと笑っていた。

 ――本物の、冒険。

 伸ばしていた手が光に包まれる。

 身体の感覚がなくなっていく。

 慌てて3匹を振り返ったつもりだったけれど、どっちが前でどっちが後ろなのかもう分からなくなっていた。音もない。静かに雪を積んでいく真っ白な雪原に、1匹で立っているみたいで、頭がぼんやりしてくる。

 そうして、とうとうすべてが光にのみ込まれてしまった。

 なんだか自分が消えてなくなってしまいそうな感覚だった。

 すごく楽だったけど、やっぱり寂しい。

 そう思ったよ。

 だけどね。

 ふっと、夢から覚めたみたいに清々しい気分になったんだ。冷たくて澄んだ空気を、スンと吸い込んだ瞬間みたいにさ。

 だからそれを見ても、はじめは「おお……」としか思わなかった。

 下から上へとゆっくり、首が痛くなるくらいに顔をあげてようやく、

「――――っ!?」

 と息を詰めた。

 ホーウ、ホーウ

 その怪鳥は、暗闇に穴を開けたような虚ろな目でじっと、茶色いマイケルたちを見下ろしていた。

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