4-22:降下

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 超ネコ気球から降下を開始した茶色いマイケルは、大気に厚みを感じながらドロップゾーンを確認した。

 目に映っているのは円環状の山脈。

 そう、横に長いとばかり思っていたクラウン・マッターホルンの本当の姿は、王冠みたいに丸く連なっていたんだ。

 その輪っかの中でも特に大きく裾野を広げた、犬歯のような山の中腹あたりに湖がある。もう何分もしないうちに見えてくるはずのその場所が、着地地点、つまりドロップゾーンだよ。

 降下から約一分。加速は既に音速を超えている。

 ちょっとした身じろぎだけで降り立つ地点がずれてしまう、それくらい繊細な位置取りは、いくら訓練を積んだからとはいえ子ネコたちには難しい。

 にもかかわらず、茶色いマイケルは自分の身体がドロップゾーンに向かって正確に落ちていることを疑わなかった。

「さすがは神の権能、巨大な磁石に引かれるような安定感がある」

 頭の中に灼熱のマイケルの落ち着いた声が聞こえてきた。

 そうなんだ。実のところ、流れ星のように降り注ぐ4匹の動きは大空の神さまによって制御されている。他にも、大気圧や気温、紫外線やネコの身体に有害なものなんかを、遮断・低減してもらっているのさ。

「できればこのままぁ、神さまに着地まで面倒見て欲しいところなんだけどねぇ」

「確かにそうだが、しかし他の神に気付かれる可能性がだな……」

「真面目に答えんでいいぞ虚空。それが出来んことくらい分かっていて言っておるからな。まったく、厳しい訓練でちっとは性根が叩き直されたかと思えば、二言目には愚痴を吐きおる」

「えぇ~、ぼやくくらいいいじゃないかぁ。あと何分もしないうちに神さまの力が無くなってぇ、パラシュートで降りなきゃなんだよぉ、心細いじゃない。ねぇそう思わないぃ?」

「あはは、緊張はしちゃうよね」

「ほらぁ、茶色だってこう言ってるしぃ」

 むぅ、と口を尖らせる灼熱の返事に、最近忘れていた懐かしいものを感じた。毎日冗談も言えないくらい絞られてたからなぁ。

 クラウン・マッターホルン降下作戦の概要はこうだ。

 山脈の遥か上、地上5万メートルに超ネコ気球で行き、そこから目標地点に向けて飛び降りる。

 位置の調整や体の保護は大空の神さまにやってもらうんだ。『神域接続の間』では今まさに、大空ネコさまと王様ネコが茶色いマイケルたちの様子を眺めているはずだよ。

 果実のマイケルの言うように、着地まで面倒を見てくれればいいんだけど、他の神さまに大空の神さまの気配が見つかっちゃうと作戦が台無しになっちゃうからね。神さまたちがギリギリ気づかないくらいの高さで大空の神さまの制御を離れ、しばらく自由落下し、その後パラシュート降下に切り替わるってわけ。

 そこから着地までは完全に子ネコたちだけでやらなきゃいけないんだから、不安になっても仕方ないよ。

「しかし茶色、その割には落ち着いとるじゃないか」

 顔を上げると両手足を広げて落下している3匹の姿があった。しっぽと毛が気持ちよさそうに上向きになびいている。果実と虚空の2匹はドロップゾーンを見ていたから、目が合ったのは1匹だけだった。

 茶色いマイケルは紫外線ゴーグル越しに見える灼熱のマイケルに、

「あれだけ訓練したからね」

 と答えた。つい表情に自信が滲んだような気がしてちょっと照れくさい。

「話していられるのはここまでらしい。見えたぞ」

 虚空のマイケルの引き締まった声で視線をドロップゾーンに戻すと、クラウン・マッターホルンの様子が変わっていた。

 山脈全体が思ったよりも緑が広がっていたんだ。クリスタルのように透き通って見えた山肌も、色味を変えてただの岩に見える。湖を浮かべるように広がった草原、その中には群れをなして移動する動物たちの動きもあったよ。

 この山は生きてるんだなぁ、っていうのを言葉じゃない何かで感じる。

「権能が切れると自由落下開始だ。目標高度まで降下したならパラシュートは自動で開くが、その前に大気の影響をまともに受けることになる。強い風が吹くかもしれないから、くれぐれも位置取りには気を付けてくれ」

 4匹は誰からともなく顔を上げ、ピッと親指を立てた。それが合図だった。

 ふわり。

 加速が消え、大気も消え、音も消え、すべての時間が止まった。

 瞬間的な思考の加速。

 階段で足を踏み外してしまった時みたいでヒヤリとする。

 少し笑った。

 そこに、ごう、と風が戻った。

 浮いた身体に大気がぶつかり身体を空に押し戻す。それでいて重さを増して落ちていくんだから変な感覚だったよ。一分くらいはその感覚を楽しんでいたかな。

 そうだ、パラシュート!

 シュッと背中から飛び出す音がしたかと思えば、マッシュルーム型の傘はすでに開いていた。それでもまだこんなに抵抗があるのかと悲鳴をあげたくなる。いいやそれよりも位置取りだ。山から大きくズレでもしたら地上まで1万メートル以上も1匹で落ちていく羽目になるんだからね。

 茶色いマイケルは”芯”をわずかに外しつつ姿勢を安定させ、微調整を繰り返した。視界一杯に広がったクラウン・マッターホルンはもう山と言うよりは地面で、高圧的にオラオラと迫ってくる。訓練では味合わえなかった恐さが湧いてきた。

 森……じゃない、草原だ。

 湖のほとり、山肌に沿ってなだらかに広がった草原を視野に入れた。

 息をのむ。数字を数え、両手を広げたまま身体を傾ける。遠くから見ればムササビが飛んでいるように見えるかもしれないその恰好で、坂道の方へと身体を流していく。地面が迫る。目をカッと見開く。ぶつかる!

 直前、茶色マイケルは蹴った。パラシュートを切り離し、右から左へと傾斜のついた丘の上をゴロゴロ転がり勢いを殺していく。耐衝撃ネコジャケットのおかげででこぼこした岩に当たっても痛くはない。これでもかと言うくらいに転がると、回転は勝手に止まった。

 最後にゴロンと半回転し、仰向けになってゴーグルを外すと、雲のない青空が広がっていた。胸が荒く上下しているのが分かる。実感が湧いて来たのは少し経ってからだった。

 着地、成功……!

 笑みが零れた。

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