4-12:踊り

***

 神さまを……殺せ?

 心臓に肉球を押し当てる。のどはひび割れそうなくらいカラカラだ。

 どういうこと? わからない。

 音をたてないよう深く息を吸いこみ、慎重に吐いた。

 ここは神さまと繋がる場所だと虚空のマイケルは言っていた。跪く前に「いらっしゃるぞ」とも。

 だとしたら声の主は大空の神さまだろう。ここは神域っていうところで、そこに神さまが現れた。姿は見えないけど。

 ここまでは分かる。でもここからが分からない。

 殺せ?

 子ネコに向かって言うには物騒だ。いや、だけどその後のことに比べたらまだ意味は分かる。頭に流し込まれたイメージのことだよ。あの瞬間を思い出すと、のどの付け根あたりにウシガエルくらいの大きな塊が込み上げてきて、今にも吐き出しちゃいそうだった。

 それを堪えて考えるけれど、やっぱり意味が分からない。

 『流れの神』『雷雲の神』『霧の神』『蒸気の神』『星屑の神』『礫の神』『つむじ風の神』『林の神』『小川の神』そして『風の神』『時の女神』『オーロラの神』。

 どれも聞いたことのない神さまだ。いいや、そもそも神さまって存在自体が、想像の外にありすぎてうまくつかめないんだ。

 それを、殺せ?

 目だけが慌てふためくように揺れている。「ぼうっとしてる場合じゃない、何か言わないと、とんでもないことをさせられる」って、眼球が訴えているのかもしれない。

 大空の神さまは、

『すぐに成せ』

 と話を終わらせようとした。

 待って。

 バクン、と身体の中で小さな爆弾が破裂。その先を言わせちゃいけない。だけど声が出せない。アゴに力が入り過ぎていてちっとも開かないんだ。待って、待って、と心の中で叫ぶ声さえも鈍くなってくる。そんな中、

「大空の、神よ……」

 今にも押し潰されそうな声だったけれど、あの子ネコの声がうつむく茶色いマイケルの耳に入ってきた。

「ワシらは、ただの、子ネコなのだ」

 スゴいよ灼熱! 神さま相手に口がきけるなんてそれだけでスゴイ! 勘違いしてるかもしれないからその調子で言ってやってよ! ガンバレガンバレ!

 って応援してあげたい。だけどなぜか、ダメだダメだダメだ、と止めさせるよう訴える声ばかりが聞こえるんだ。虚空のマイケルの固まった背中を見ていたからか、果実のマイケルの荒い息を聞いていたからか、あるいはそれ以上の何かを感じていたからか。

 灼熱のマイケルが息を吸いこむ。

 言葉になる前の、息の出る音を聞いただけで、茶色いマイケルの心臓は100分の1になった。

「神を殺すなどという大それたことは、出来ん」

 明言する。

「しかしワシらに何か手伝えることが」

 途絶えた言葉は叫び声となった。

 息が継げない。

 周囲に壁はなく、果ても見えない。それでも一帯に灼熱のマイケルの叫び声が充満した。

 苦鳴は茶色いマイケルに耳から入って脳みそを突き刺し全身に痛みを響かせた。聞いているだけの身体が音の衝撃で跳ね上がった。ビグンとありえない音が内側から聞こえた。

 それより灼熱のマイケルだ。

 小さな体が、茶色いマイケルたちの前に飛び出してきて踊り始めたんだ。

 ぱん、ぱん、ぱん、と軽快なリズムを刻むように、身体からゴッ、ゴッ、ゴッ、と骨のぶつかる音がする。その度に厚い鉄骨で叩かれたように身体が歪む。右肩が歪む。左腕が歪む。右腰、左ひざ、お腹、頭、しっぽに顔に、一枚一枚違う絵に差し替えたように、瞬間瞬間で身体が歪んだ。

 怖気を震う踊りに子ネコの意思は見られない。力なく垂れ下がった手足の先からピッ、ピッ、と鮮やかな色の粒が飛んでいて、毛がしっとりとしてきている。茶色いマイケルの視界も滲んだ。

 わあああと泣き叫んだのは果実のマイケルだ。さっきまで震えるのも恐ろしいと言った風に息を殺していたのに、立ち上がって灼熱のマイケルに駆け寄り「やめてやめてやめてやめてよぉ!!」と割れた声で叫びながらその体に抱きついた。どうしていいかもわからずにその場で足をバタバタするだけの子ネコは、白い毛をみるみる鮮やかな赤に染めていった。

 身体を動かすことすらできない茶色いマイケルだったけど、気味悪く踊らされ続ける子ネコの顔に、光を失った黒目が見えたんだ。

 その瞬間、内側から身体が跳ねた。

 絡みつくつるを断ち切るように飛び出す茶色いマイケル。灼熱のマイケルには向かわない。神さまの方でもない。揺すったのは虚空のマイケルの肩だ。

「お願いだよ虚空! 何かっ! どうにかしてよこのままじゃ灼熱が死んじゃう!!」

 情けなくてもどかしくてどうにかなってしまいそうだったけれど、たぶんこれが一番可能性がある気がした。虚空のマイケルの身体はひどく震えていた。震えは手の平から伝染してきたけれど、ギッと歯を噛んで堪えた。

「ダメだよ! こんなことされていいわけがない!」

 理論や理屈は後回しにして浮かんだ言葉を吐き出した。それでも虚空は動かない。果実のマイケルの泣き叫び声は大きくなる。灼熱のマイケルの声は聞こえず、鈍い音だけが繰り返し繰り返し続いている。

 だけど子ネコは震えているだけだった。

 だったら、ボクが……!

 茶色いマイケルは眉根に力を込め、神さまの方を見据えた。

「大空の――」

 その時だ。スッ、と口の前にアッシュグレイの手が伸びてきた。

「お鎮まり下さい。シエル様」

 大きな声ではなかった。

 顔も下を向いていたし、遠くまで届いているとは思えない。風が吹けば頼りなくかき消されてしまうくらいの声。近くにいなければ虫の羽音にも負けそうな弱々しい声。

 だけどそれだけでゴッ、ゴッ、ゴッ、という骨の砕ける音は止んだんだ。果実のマイケルはまだ「あああ」と声を歪ませて泣いていたけれど、抱きつかれていた灼熱のマイケルはもう踊ってはいない。中身を抜いたみたいにくったりともたれかかっている。

 その姿を見て、茶色いマイケルの瞳を覆っていた涙が、ようやく頬の毛をたっぷりと濡らした。

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