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 『信頼の鎖ネコシステム』が失われたと聞いて、真っ先に思い浮かぶのはカラバさんの話だった。

 『大地の神の不在』。

 もしかしたら大空の神さまも遠くへ行ったのかな、と思ったけれど、ちょっと待って。だとしたらネコたちは空に浮けないし、建物だってみんな落ちちゃうんじゃないかな。

 茶色いマイケルは、シエル・ネコ・バザールが空からパラパラと落ちていくところを想像して顔をひきつらせた。虚空のマイケルはそれを見ていたらしい。

「大空の神がどこかへ行ったわけではないんだ。この国が地上へ落ちるということはないから安心してくれ」

 すると灼熱のマイケルが「よかったな」とでもいうように口の端を持ち上げた。心配していたのは茶色いマイケルだけだったみたい。

 だが、と声が重くなる。

「『信頼の鎖ネコシステム』の喪失による影響は大きい。君たちも感じていたように、空ネコたちの変化はここに端を発しているんだ」

 視界の端、動くものを捉えた茶色いマイケルが左隣を見ると、果実のマイケルが「いや……こっち……でも……」と目線を上げて短くつぶやいていた。考えはすぐにまとまったみたい。

「もしかしてぇ、みんな疑心暗鬼ネコになっちゃってるのぉ?」

 うなずきで返す虚空のマイケル。それから深く息をするように、

「俺たちはシステムに頼り過ぎていたらしい。それ無しでは、誰の、どんな発言も信用できなくなっていたんだ」

 と言って目を閉じた。

 白い雲に拡散する光。そんな明るい部屋の中で唯一、その子ネコの周りだけは他よりも暗く見えたよ。まるで光の作り出した影の全てが、アッシュグレイの毛色に吸い込まれているみたいだった。

『本当ですかぁ?』

 ついさっき、帰ってきたばかりの果実のマイケルから聞いたマッサージネコさんの疑いの言葉。それってなにも、そのネコさん1匹だけに限った反応じゃなかったんだ。

 システムが失われてすぐは、大した変化はなかったらしい。今まで仲良くやってこられたんだから、そりゃそうだよね。

 だけど思いもしなかった。

 冗談のつもりで言った言葉が、思った以上に耳に残ってじわじわと、後から後から頭の中で膨らみだすなんて。

 ほんの些細な誰かの軽口が、その相手だけじゃなくって、耳の良すぎる空のネコたちにまで届いてしまう。

 そうするとね、『もしかしてあれは僕のことを言っているんじゃないだろうか』『まさか昨日の失敗をあげつらって』『たぶん私のことを見ているのよ』『きっと心の中ではあざ笑ってるんだろう』『そうだそうに違いない』『あっちでもこっちでもみんなが悪口を言ってる』『嘘が付けるようになったからって好き勝手言いやがって』って。

 悪い考えやイヤな気持ちがどんどん大きくなってくる。行き着くところはこうさ。

『もう誰も、何も信じられない』

 虚空のマイケルは、

「空は今、疑いの目に溢れている」

 って言っていた。その暗い目を想像して、茶色いマイケルはブルブルっと身体を震わせた。大きな氷柱が出来るような朝でさえ、こんな寒さは感じやしないのに。

 灼熱のマイケルと、一瞬だけ視線を交わす。

 もちろん考えたのは『あの目』のことだよ。番兵ネコさんや王様ネコさん、それに今、茶色いマイケルの前で瞑目するこの子ネコが見せたあの大きな目。瞳の奥の奥まで覗き込んでくるような、あの目の正体に、今茶色いマイケルたちは行き当たったのさ。

「ふむ、なるほど合点がいった。この部屋に入る前に、お前が言っていた『失念』とは『信頼の鎖ネコシステムの喪失』のことだったのだな」

「ああ。言い訳するようだが、以前俺が言った『詳細はあとで話す』という言葉だけで十分だと思っていたんだ。『そこに嘘はないのだから話をするまで待っていてくれればいい』とな」

 この国ではただの”うなずき”も、絶対の約束以上の信頼があったんだ。だからここに来るまで虚空のマイケルは、言葉での返事をほとんどしなかったという。

 それを聞いた灼熱のマイケルは「あい分かった」と一言うなづいて目をつむる。もう怒ってはいないみたいだ。

「ねぇねぇ虚空。さっき聞こうと思ってたんだけどぉ、大空の国で起きてる資材不足とかは関係ないのかなぁ? ネコたちがやたらせかせかしてたりネコノミー症候群が流行ってたりぃ、オイラはちょっとおかしいと思ったんだけどぉ、これって空では普通のことなのぉ?」

 すると虚空のマイケルはネクタイをきゅっと閉め、

「もちろん異常事態だとも」

 と断言した。その言葉を境にして纏っていた雰囲気が変わった。

「それらは『信頼の鎖ネコシステムの喪失』と無関係ではない。むしろ密接に繋がっている」

 風が起こり、ふわふわと浮いていた雲が千切れていく。

「『信頼の鎖ネコシステム』が疑心暗鬼ネコを引き起こしたように『クラウン・マッターホルンへの入山禁止』と『ネコたちにかけられた呪い』が、それぞれ別の問題へと発展している。大空の国は今、未曽有の危機を迎えているんだ」

「えっ、クラ……えっ!?」

 規則正しく走るような語り口に、茶色いマイケルの鼓動が加速していく。

「しかもこの危機は大空のネコたちだけの問題ではなく、地上のネコたちにも大いに関係してくるということも付け加えておこう」

 なにせ、と言い放つ。

「俺たちの働き如何によっては、神々同士の戦い、『神域大戦』の勃発にも繋がってくるのだからな」

「かっ、神々の戦いだとぉ!?」

 灼熱のマイケルの驚愕が響き渡る。果実のマイケルが「ちょ、ちょちょ、さっきから何か変じゃなぁい!? 虚空も、この部屋もさぁ!?」とオロオロしながら尋ねるけれどその質問は無視された。

「そうだ! 君たちがここに集められた理由もここにある! 俺たちが今立っているのは分岐点だ。ここから先を説明するには俺の言葉では軽すぎる。なので話は直接聞いてくれ!」

 もちろん俺も一緒に行こう

 そう告げるや虚空のマイケルは手を真横に振った。何かを切り裂くように速く鋭く。

 すると室内に風が吹き、足元に広がっていた雲がさっと晴れていく。現れたのは青空だ。茶色いマイケルたちに驚く時間はない。何かにしっぽをつかまれたと思えば、背筋がぴんと伸ばされ、一瞬のめまいと共にカチリと視界が切り替わった。

 空は空。

 しかし見上げきれないほどの巨大な雲の塊が目の前に立ちはだかっている。それが雪崩のような勢いで4匹をのみ込み流れていく。両腕で顔を隠さずにはいられない。実害はない。痛くもかゆくもないのにただただ恐ろしさだけが心を激しく揺らした。

「茶色ぉ!」

「灼熱! 果実はぁ!?」

「平気ぃ!」

「虚空は!?」

 返事はなかった。

 が、雲の激流が一瞬で霧散すると、見渡すまでもなく他の3匹の姿がそこにあった。茶色いマイケルは少ならず安堵する。

 ただし予感があった。今、遠くに見える小さな雲。それはめまぐるしい速さで形を変え、みるみる巨大な雲影を形作っていく。その雲塊を見て、どんなネコが心穏やかでいられるだろう。一体誰が目を離せるのだろう。

 一歩前へ立っている虚空のマイケルを見ても、その背中としっぽに恐怖が表れている。いや、耳もヒゲも毛も全て畏怖に慄いている。

 子ネコは静かに片膝を落とし、そしてうつむく。

「さぁ、いらっしゃるぞ。この国の守護神『大空の神』シエル様だ」

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