(98)8-16:当事者

***

 顔をあげ、地面におしりをついて座るオセロット。

 その前足がぶるぶると震えていることに気づいたのは茶色いマイケルだけじゃないようで、銀色の樹洞のなかには言いしれない緊張が走りはじめた。

『大空や大地の神たちは“いつかのレース”で企(たくら)んだ。序列を上げて、星の大神である『地核の神』や『磁界の神』の力を上回ろうとな』

 スナネコフォルムの地核ネコさま。その大きな耳と幅広の顔はすぐに頭に浮かんでくるけれど、磁界の神さまのことは初めて聞いた。『大神』ということは、この星で一番力の強い神さまたちだ。

 大空ネコさまは彼らを追い越すために計略を立てたらしい。

『計略は、成功』

「では、大空の神は大神に……?」

 虚空のマイケルは訝しげにそう尋ねたあと、茶色いマイケルの肩の上へちらりと視線を送る。

 風ネコさまはじっとしたまま動かない。

『正確には“一部成功”というべきか』

「一部?」

「大神にはなれなかったけどぉ、星の芯の力はたっぷりと手に入ったってことかなぁ」

 しっぽを傾げる茶色に果実が補足する。

『ああ。大空の神やその眷属たちはレースで力を手に入れた。得た力は莫大で、その点で言えば成功、と言ってもいいだろう』

「なにやら含みのある言い方だな。では“一部成功”のうち失敗部分はなんなのだ? 大神に届かなかったことが失敗だったということだろうか」

 灼熱のマイケルが顔をしかめて腕を組む。

『確かにそれも誤算ではある。派閥の神々は己の利益を度外視し、大空を大神へ押し上げるために尽力したのだから、それが叶わなかったことは失敗と言えば失敗だろう。だが、それ以上のことが起こった』

「それ以上って?」

『レースが終わったあと、すべての悪事がバレたのだ』

 それこそがかの神たちの失敗だ、とオセロットは言った。その視線は茶色いマイケルに向けられていたからドキリとしたよ。特に思い当たることはないけれど子ネコは慌てて言葉を探す。

「ば、バレたって、誰にだろう」

『あわあわの神』

 パッと浮かんだのは泡の神。チーターの器の中にこぽこぽと澄んだ泡を浮かばせていた神ネコさまだ。けれど違うのだろう。名前は聞いたことがある。たしかレースの開始直後、風ネコさまが言っていた。

 ――ここはあわあわの領域だからなー、今使ってるのはあわあわの神の権能だぞー。

『あわあわの神は神たちの頂点、いわば秩序そのものだ。この世界どころか宇宙、さらには時空、すべての理(ことわり)をつかさどる神である。そんな神にレースの秩序を乱したことがバレたのだから』

『おおごとじゃねーか』

 風ネコさまは茶色いマイケルの肩の上で頬を搔いていた。素早く動かすうしろ足に神経の高ぶりがうかがえる。

『さっきから好き勝手言ってっけどよー、大空のそんな話、聞いたことねーぞ。それに大地はどうなったんだー? 今の話じゃ力を得たのは大空だけじゃねーか、アイツらも一緒に企んでたんなら』

『大地の神たちはその時のレースを辞退した』

『はー?』

『かの神は、レースの途中、自らの行いを悔い、力を諦めた。結果的には得られるはずの力まで得られず、大きく力を削がれる形となったのだ』

『じゃーなにか? 今回来てねー大地は弱って休みかー?』

 笑いを含んだ風ネコさまの声に、ピリッとした空気がヒゲを伝って押し寄せる。視界の端で子ネコたちの顔つきが変わった。

『謹慎でもしてるってのかー? でもよー悪ぃーことして力を得た大空がレースに出ててよー、辞退した大地が出てないってのは話がおかしいだろー』

 ニャハハ。

 無邪気な笑い声にサーッと血の気が引いた。鋭い爪を突きつけられてもこうはならないだろう、キュッと首を締められる思いだ。茶色いマイケルの頭にうかんだのは、あの、消滅の瞬間だった。

 ――クラウン・マッターホルン上空。

 茶色いマイケルが芯を使ったことで、大地の神さまが目を覚ました。”大地”としか呼びようのない物体が目の前で凝縮していき、大地の神はその姿を顕現させていく――そこに閃光が走ったんだ。閃光は凝縮していく”大地”を貫いた。”大地”は粉々に散ってしまった。そして、

 ――よかったーちゃんとできた。失敗しなかったー……。

 ……無垢なつぶやきを覚えている。それはよく知った声だった。間延びしたしゃべり方。出会ったのはほんの少し前だけど、ずっと昔から知っているような声。高く、涼しげで、耳から耳へと翔け抜けるその声は、考えるまでもなく誰のものか分かった。まちがえるはずがない。確信があった。あのとき大地の神さまを滅ぼしたのは――

 ――風ネコさま自身じゃないか。

 大地の神さまはもういないんだ。

 困惑する茶色いマイケル。

 その肩のうえで風ネコさまは、大地ネコさまたちを案じていた。

 いや、案じるフリなのだろうか。

『なー、ホントのところはどーなんだよー。大地のやつはなんで休んでんだー。眷属の奴らは来てたじゃねーか。ん、そういやなんでアイツら大空たちといたんだ?』

 焦れったそうな風ネコさまは少し早口になっている。オセロットはゆっくりと銀色の地面に視線を移し、しばらく見つめたあと、すばやくこちらを見上げた。真っ直ぐな視線。今度はドキリともしない。誰を見ているのかは明らかだったんだから。

『アンタも当事者なんだよ』

 風ネコさまは口を開いたまま固まった。

『あの騒動に関係した神は全て罰を受けている。その中には風の神、アンタもいるんだ』

 罰。

 力を得るために大空ネコさまたちが起こした騒動の、その罪としての罰だ。そう、罪としての。

『オレも、罰……?』

 その様子に、すこしだけホッとしている自分に気づいた茶色いマイケル。けれどその理由を考える余裕はなかった。

『ぐ……』

 オセロットが前足を折りまげて突っ伏したんだ。頬を地面に擦って、押さえつけられたようにうめき声をあげている。みるみる弱っていくのがわかる。

『もう言わないほうが……』

 立ち上がりかけた茶色いマイケルに先駆けたのは雪雲ネコさまだ。ふた周りは小さな神ネコフォルムが、オセロットの身体を支えようとする。

『ったく』

 白いジャガーの雪崩ネコさまもタッと駆けつけた。首根っこを噛んで細身の身体を持ち上げ樹洞の壁に持たれさせる。

『なぁ冷気姐ぇ、ここまで身体張ってんだから、ちっとぐらいアタイらが口を貸して』

『さっきも言った通りだ。俺が言う』

 相変わらず声の線は細くて若々しい。けれど雪崩ネコさまの言葉さえつまらせるその覚悟が、茶色いマイケルの耳をビリビリと痺れさせた。身体は今にも折れてしまいそうなのに。神さまは言葉を継いだ。

『俺は罪であり、罰』

 そして、激しく胸を上下させながらオセロットは言った。

『俺は、雷雲だ』

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