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入り口からの光がマルティンさんに、茶色いマイケルの影を薄く乗せている。
「君たちはここに来るより以前、神さまと会ったことはあるかね?」
タキシードの袖についた銀色の土を見つめ、そっと払いながら尋ねるマルティンさん。その動きはたどたどしく、樹洞の壁に背中を支えられていなければ今にも崩れてしまいそうだった。
茶色いマイケルは大空の国でのことを思い出して「会ったことあるよ」と答えようとしたんだ。
「あ」
「ないだろう。リーベ・レガリアのマザーネコAIでさえ神の存在を証明することはできなかったのだからね。私だってここに来るまでは信じていなかった。しかし目にしてしまったのだから認めるしかないと思ったんだ。だから彼らを知るために話をすることにした」
その結果がコレだ、と包帯の巻かれた脇腹を押さえて、わなわなとその右手を震わせた。
「君たちも見ていたのだろう。霧の神と礫の神、あの神さまたちが私に何をしていたのかを。蹴り飛ばし、噛み付いて、振り回す。まったく玩具とはああいう気分なのかと考えさせられたよ。なのにどうして君たちはそうも仲良くしていられるんだい? 怖いと思わないのか?」
ここぞというところで放り出されるんだぞ?
茶色いマイケルの耳が跳ねた。意識が頭のうしろ、樹洞の入口へと向いていき、暗い記憶がよみがえる。
――クラウン・マッターホルン山頂のさらに上。子ネコたちは『風の四足獣』にまたがって空に浮いていた。自分たちで浮くこともできたけど、そうすると『神域大戦』が始まってしまう、そんな緊迫した状況だ。
なのに風ネコさまは茶色いマイケルたちから『風の四足獣』を取りあげたんだ。浮くすべを失い、重力に従って落ちていく4匹の子ネコたち。ぐんぐんと落下速度の増す中で、仲間ネコたちは絶望の表情を浮かべていた。その顔を見て覚悟を決めたのは茶色いマイケルだった。子ネコは意を決し、芯を使って浮き上がる。
それは、大地の神さまを目覚めさせ、大切なネコのいる世界の崩壊へと繋がった――。
あの時、風ネコさまが『風の四足獣』を取りあげなければ。
胸に痛みを覚えた子ネコはかすかに頭を振った。それから今、周りにいる神ネコさまたちに目を向ける。彼女たちは小さな身体を寄せあって「何のことだろう」と成ネコの話に首を傾げているんだ。
こんな話、神ネコさまたちの前でしなくてもいいのに。
マルティンさんは暗い銀色の地面に目を向けたまま話し続けた。
「はじめは面白そうな方たちだと思ったんだ。あの凍った噴水のある広場でのことだよ。ネコ科のくせに背筋を伸ばし、規律正しく並んでいたからね、話しかけてみることにした。とても友好的だった。ここの事は分からないだろうから何でも聞いてくれとも言ってくれた」
「だったら」
「しかしフタを開けてみればどうだね、少しずつ少しずつ頼んでもいない恩を着せられていったのだ。そのたびに私の発言権はやせ細る。やがてはアレをしろコレをしろと命令される立場になり、ついには助けてもくれないときた!」
「別にみんながみんな同じってわけじゃあ……」
「神は神だ! どうせ自分たちのことしか考えていない。ろくでもないものさ」
マルティンさんは握力の残っている左手で拳を作り、地面を叩きつける。何度も何度も叩きつけ、握りしめたその手はうっすらと銀色の土を被っていたよ。うめき声に似た吐息が漏れている。
だけど、気づいているのかな。反響しやすい樹洞の中で、静かに空気を震わせる『うぅぅぅ』という小さな唸り声に。茶色いマイケルの足元で、毛を逆立て始めている神ネコさまたちの存在に。
こんな目の前で悪口を言われたら誰だって……。
ひときわ激しい一撃は、銀色の壁に打ち当てられた。コドコドたちはびっくりして飛び上がる。
「神は横暴だ! ありあまる力を使って望むがままにことを進めていく。力任せにもほどがある!」
あまりの大声に耳がキーンとなって頭がくらくらした。樹洞内の空気がビリビリと痺れを広げていく。おっきな風船が割れたみたいだ。
その瞬間、茶色いマイケルにあった感傷的な気分はどこかへふっ飛んだ。周りのことでいっぱいいっぱいになったんだ。マルティンさんがやる気の目をしている。思いの丈を全部吐き散らすつもりの目だ。口が半分開いた。小さな神ネコさまたちはお尻を上げて構えた。大声で悪口を言うネコに向けて歯を剥き出しにしている!
「ま、待ってマルティンさ」
「神はためらいなく脅しを使う! 罪さえでっち上げ裏切り者と罵り、ためらいなく弱者を奈落の底へと突き落とす! 何という冷血! 狡猾だ! 卑怯だ、卑怯! 神とは卑怯者! 卑怯千万! 万死に値する!」
ひいい!
バカでかい叫び声を聞くや怒りのままに飛びかかりかけたコドコドたち。茶色いマイケルはその背中を高速でグルーミングし、さらに2匹の子ユキヒョウの太くて長いしっぽを撫でたくり、うしろから聴こえる猛獣の声を聞くまいと耳をパタリと閉じて、どうすればこの場を丸く収められるのかと働かない頭にビシバシ鞭を打ったんだ。胃が心臓のところまでせり上がってきて鼓動に合わせて毛玉を吐かせようとしてくる。いっぱいいっぱいだ。
するとそこへ、
『まー、だいたい合ってるんじゃねーのかー?』
救いの声がかけられた。
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