(89)8-7:スノウ・ハットでスヤスヤと

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「雪雲ネコさまたちが作ったって、あの彫刻を!?」

 スノウ・ハットにある『氷の神殿』。

 それは『氷の大噴水広場』から『氷の地下道』を潜った先にある、文字通りすべてが氷でできた神殿だ。仄かな灯りを頼りに白い息を吐きながら地下道を歩いていると暗がりの奥からすうっと現れる氷の大扉。高さ10メートルくらいのこの大扉には、隅から隅まで細やかに彫刻がなされている。

 小さな動物やネコたちがたくさん彫られていているんだ。物語を表しているようにも見えるし、バラバラの出来事を刻んであるようにも見えたよ。指先ほどのネコの頭を撫でれば、「見つかっちまったか」と言って隠れてしまいそうなくらい活き活きとした氷の彫刻だ。

 茶色いマイケルはその先で見る氷像を楽しみにしていたからね、入り口の彫刻はちょっと眺めて素通りすることが多かった。それでも考えていた。「どんなネコがこれを彫ったんだろう」って。

 きっと、目つきの鋭いシワだらけの熟練ネコが何百匹と集まって、何年も何年もかけて彫っていき、ある日、深夜の暗がりの中、ようやく出来上がった作品を眺めながら無言でうなずいていたんだろう、ってそんな場面を思い描いていた。だからさ……

 ――果実のマイケルの肩に乗っていたコドコドが「うにゃー」と言いながら足を滑らせ地面に落ちて尻もちをついた。

 ――虚空のマイケルの左腕につかまっていたコドコドが「みゃ、みゃ……」と地面に足をつけようとして、ゴロンと一回転。樹洞の天井を見上げた。

 ――灼熱のマイケルのあぐらの上では子ユキヒョウが、ラッコみたいに仰向けで長い尻尾に噛みついてる。

 ――茶色いマイケルの立てた膝の下でも子ユキヒョウがしっぽを追いかけ回しているし、肩に乗った神ネコは膝頭にジャンプしようとお尻を振っている。

 ……コロコロと愛くるしく動き回る神ネコさまたちを見て……氷の神殿の彫刻を思い出し、また転げ回る姿を見て……それから頭を左右に振った。一応、キャイキャイ騒ぎながら彫っているところを想像して……やっぱり頭を振った。

「あっ」

 そこで閃いた。

「わかった! 冷気ネコさまが作ったんでしょう!」

 ドスドスドスと頭突かれまくった。小さい神ネコさまたちの総攻撃だ。5匹で突っ込んできた。さっきまで鈍そうな動きをしていたコドコドたちまで素早く飛びかかってきたんだ。子ネコから声の高いウシガエルみたいな音が出てきたよ。

 『ちゃいろひどいー!』『私たちが作ったんだから!』と散々に非難され、洞の中が一気に騒がしくなる。肉球がすべすべになるほど手を擦り合わせて謝っていると、くすくすと笑い声が聞こえてきたよ。

『あれはいつでしたか……』

 振り向くと、樹洞の壁際に寄りかかっていた冷気ネコさまが、透き通った声でこう話してくれた。

『何もなかったあの地に、結構な数のネコたちが住み着いて、それからしばらく経った頃でしたね。雪の地に不慣れなネコたちも、その頃には自分たちで家を建てることが出来るようになっていました』

 ネコたちは毎日のほとんどを食べ物の確保と雪遊びに費やしていたらしい。

『まだ文化らしい文化はなく、あっても上辺だけをなぞったような、よく分からない物を作るのが精一杯といったふうだったのですが、ややもすると形のない『何か』を形にすることを思いつき、それは神への、つまり私たちの姉様への捧げ物とされました』

 はじめは美しい石や氷、雪の玉をよく磨いただけの物だったという。

『それがそのうちに置物、祠、建物、と大きくなっていき、やがてあの神殿となったのです』

 茶色いマイケルの想像通りかは分からないけれど、神殿の建設には何年も何世代もかけて、多くのネコが彫刻を施していったらしい。

『だけどすっごくヘタだった』

 と泡雪ネコさま。もう1匹の子ユキヒョウ淡雪ネコさまも、

『下手すぎていつも見に行ってた』

 と言葉だけは辛辣だ。

『あんまりヘタだからバカにしてるのかとも思ったんですけど……』

『でもネコがんばってたよねー』

『うん、ずっと黙ってがんばってつくってたー!』

 雪雲ネコさまとコドコドたちは驚きの混ざった声を弾ませる。

『そこである日、その日の彫刻が終わった夜に、この子たちが手を加えたのです』

 獣の器を動かすのと違って、雪や氷は思ったとおりに操ることができるのだと言う。イメージで細かいところまで作り込み、あとはみんなで協力して磨き上げたのだとか。

『あははー、ネコたちびっくりしてたよねー』

『してたしてたー! ネコの顔おもしろかったよねー』

『でもよォ、「これは神の力だ! そうに違いない」ってネコが叫んだ時はオメェらもビビってたじゃねーか。『なんでわかったのー!?』ってよォ』

『『んもー、雪崩ちゃん言わないでー!』』

 寝そべっていた雪崩ネコさまに飛びかかったコドコドたちは、順番にペタンペタンと地面に叩き落されていた。それでいてプンプン怒っているものだから、あははとみんな笑っていたよ。

『それからも毎年、あの賑やかな時期には氷像づくりに参加させてもらってるんです』

 茶色いマイケルは言葉を忘れた。代わりにうなずいたのは灼熱のマイケルだった。

「なるほどな。あの氷像は凄まじかった。どおりで神がかっているわけだ、まさか本物の神が手を加えていようとは」

 ――氷の神殿の大扉をくぐると礼拝堂がある。等間隔に並べられた氷の長机。その上には成ネコの上半身ほどもある精緻な氷像が順番に並べられていた。息遣いの聞こえてきそうな躍動感。絵本のページをめくるように氷像で描かれた物語へと引き込まれ、氷に自分を映して戯れる。そうしてご先祖ネコさまたちと心を通わせていたんだ。だけどそこにはこの神さまたちもいて――。

 懐かしい光景に今見ているものを重ねたた茶色いマイケルはニッコリとして、

「神さまありがとう」

 胸の中でとどめておくことの出来なかった言葉を口にした。ずっとずっと見守られていたんだ。ワクワクするような思い出の、その至るところにこの神ネコさまたちの楽しげな笑い声があったんだ。そう思うと、思い出が一層鮮やかに踊りだす。

 そんな子ネコにまたクスクスと笑う声が聞こえてきたよ。

『変なの。別にネコのためにやったわけじゃないのに』

『そうそう。全部姉さまのためなんだから』

 子ユキヒョウたちがその場に伏せて笑っている。

『えー! つららはネコがニャンニャン言うとおもしろーい!』

『みぞれもニャンニャンニャン!』

『姉貴が言ってたぜ。小さなネコたちが騒いでるのを聞いてるとよく眠れるんだってな』

 雪崩ネコさまは『ししし』と笑う。

『うるさいくらいに心の声が聴こえてくるのに、それがいいって言っていらしたものね』

 いったいどんなふうに聞いてくれているのかな。雪で真っ白に染め上げられた大好きな街の賑わい。シロップ片手に駆け回る子ネコたちの姿。どこからともなく聞こえてくる安らかな寝息を想像して、ついつい顔がほころぶ。

「子ネコの遊ぶ声で眠ることが出来るなんて、とっても素敵な神さまなんだね」

 自然にポロっと溢れた言葉だった。それを聞くと小さな神ネコさまたちは子ネコのところに集まってきて、頭突きの代わりに身体を擦りつけていたよ。雪崩ネコさまや冷気ネコさままで擦り付けるものだから、ぐいと押されて身体が歪んだけれど、「いたっ」という言葉よりも先に笑いがでちゃう。

 ふっと疑問が降ってきた。

 そういえば今年雪が降らなかったのはどういう訳だったんだろう。やっぱり大地の神さまが空に行った影響があったのかな?

 そう尋ねかけたところへ、

「君たちは随分と仲が良いように見えるな」

 とマルティンさん。うしろを振り返ると、横たわった姿勢から身体を起こそうとしているところだった。「壁に寄りかからせて欲しい」と言われた子ネコたちは、いまだにボーガンを構え続けているケマールさんの隣へと運んだよ。

 一体何の話をするのかなと思えば、

「神さまなんかとどうして仲良くできるのかね?」

 瞬間冷却。

 温かかだった樹洞の中が、キンと音を立てて凍りついた。

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