(86)8ー4:せいばつ!

***

 身体ひとつ分跳び下がり、地面に足を埋めながら身構える2匹の神ネコさま。

『『か、風の神!』』

 声は裏返り、余裕は消し飛んでいた。オオヤマネコの耳先がプルプル震えている。

『クロヒョウたちがよー、オレにビビってこっちに付いたとしたらどーだー? この辺で引いとくかー?』

 銀色の大樹の葉がこすれ、さわさわと撫でる音が森の中を吹き抜けていった。風ネコさまは音もなく宙を歩いてきて茶色いマイケルの肩に乗り、お尻をついて前足を舐める。あくびはしない。

 さすがに『特等』の神さまだ。身体は小さいのに余裕がある。何倍も大きな獣を前に視線を外せるなんて、頼もしい。偉い神さまを盾にしているという居心地の悪さはあるけどここで終わるなら――。

『……いいや。いくらあなたでもそのフォルムでは私たちに勝てません』

 引けていた腰が持ち上がり、短いしっぽが上に向く。ジャガランディも軽く跳んで4つの足を置きなおした。

『そ、そうだぜ。クロヒョウどもがそっちについたからって所詮は細神だからよぉ』

『じゃーそーしてみろよー。でもよー、表に戻ったら覚悟しとけよなー。忘れたとは言わせねーぞー』

 あくびをする風ネコさま。その姿はとてものんきだけれど、茶色いマイケルの肩のうしろがピシャンとしっぽで叩かれた。

『……どうします?』

『後のことはボスに任せておけばいい。事が終われば表の方はどうにでもなる』

 礫(つぶて)ネコさまは風ネコさまをにらんで小ぶりな頭を低く構える。それから顔半分をぐにゃりとねじ曲げて声にドスをきかせた。

『つーわけだ。散々気ままにやってきたあんただがそれも終わり。ここで痛めつけて、あっちに戻ってからも存分にかわいがってやる。自由に空を飛び回ってたことが懐かしくて泣いちまうぐらい徹底的に――』

 宙を叩く音がした。

 厚い氷に亀裂の入る、鋭く尖った音。音には怒気が混じっていて、子ネコはそれを敏感に耳で拾って身震いする。一瞬で空気が引き締まる。

『だれをなぶりごろすというのか』

 続けざまにピシンピシンと高い音がして辺りの温度が一気に下がった。白い息を吐いて震えたのは茶色いマイケルだけじゃない。風ネコさまが身を固め、他の子ネコたちも小さく叫び、クロヒョウたちにいたっては可哀想なほど怯えていた。霧と礫の神ネコさまはその敵意をまともに受けて苦しそうに膝を折る。

『もういちどゆうてみろ』

 白いピューマだ。器の中に荒ぶる雪と風とを宿したピューマの神ネコさまが、牙を剥き出しにしたまま茶色いマイケルの隣からぬっと歪んだ横顔をあらわした。

『なぜ吹雪がここにっ……戦場にいたはずでは』

『こうなったらコイツもまとめてぶっ殺しちまえば』

『おい! ヤツらの前で滅多なことは言う――』

『あーあ。こういう干渉はすんなって姉貴に言われてんだけどなァ』

 右側の大樹の奥からひたひたと歩いてくるのは白いジャガー。木の葉の影をまとったその姿は、森に紛れて獲物を狙うハンターだ。目を離せば一撃で首を噛まれてしまうだろう。

『けどよォ……まァたウチのもんに手ェ出そうってんなら話は別だァ……』

 どこからともなく聞こえてくる地鳴り声。器の中では雪の塊がどう、どう、どう、とめまぐるしく駆けていて見ているだけで飲み込まれそうになる。直後、なだれ込む音が森を震わせる。

『底の底までやってやろうじゃねぇかァ!? ああん!? くるぁぁぁあ!!』

『というか』

 さらには左。

『このクロヒョウさんたち、今は私たちのお手伝いをして頂いていますので』

 器の中身を冷たく濁らせたピューマが巨大な針葉樹の脇にひっそりと佇んでいた。力が収まりきらないのか周囲には冷気がまかれ、地面や空気が白く凍りついている。盛り上がった根本は霜でびっしりだ。

『――勝手に使わないで下さいな』

 低い。夜の闇が迫ってくるような低い声。耳から凍りそう。

 びくりと跳ねたオオヤマネコとジャガランディはお尻を高く上げ、その姿勢のままズザザザと地面を擦って後ろへ退がり、頭を振り回して周りを確認する。

『そそそそそそのクロヒョウたちがお前らに何したか知らねぇけどなぁ、勝手にやったことだからなぁ!? 俺らはひとっつも関係なく――』

 しどろもどろになるジャガランディの後ろから、

『あなたたちとクロヒョウがどんな関係にあるのかなんて』

『聞かなくったってわかります』

『なのにペラペラとしゃべるものだから』

『なおさら見過ごせなくなったのです』

『あなたたちはまだこんなふうに』

『細神たちを使い潰しているのですね』

 左右の木の幹の裏から1匹ずつ、子ユキヒョウが現れた。器の中の雪ははらはらと柔らかく舞っているのに、揺れる長いしっぽは威圧的で、銀色の地面に重たい影が落ちている。

 前方・左右・後方左右と、五角形に囲まれた霧ネコさまと礫ネコさまは、彼女たちの冷気に当てられていた。寒さに震える子ネコみたいに縮こまって身を寄せている。

 真っ先に飛び出したはずの茶色いマイケルも「ここで偉そうなことを言うのはちょっとなぁ」と気後れしてしまう。だけど、

『……さすがに厳しいな』

『きょ、許可は降りてんでしょ?』

『手を出せばこっちがただでは済まん』

『なら……』

 ぼそぼそと口元で話す2匹の視線がそのネコに向いたんだ。

『『最低限の仕事を』』

 茶色いマイケルは飛び出した。

 明らかに雰囲気が変わった。凍てつく空気の中にぽっかりと黒い穴が空いたみたいに、ひどく暗い目がマルティンさんにからみつく。

 先に動いたのはジャガランディだ。長い胴を波打たせ、横倒しになったマルティンさんに跳びかかった。狙いは首元。太い釘でも打ち込むように足をつき立てる。

 もっとよく考えていれば間に合ったかもしれない。

 もしも吹雪ネコさまたちが威圧しているうちに動いていれば救出できたはずだ。

 けれどそうはならなかった。現実は違っていて、

『そうくるとおもったぜ』

 驚愕する礫ネコさまの足元にいたのは――

『甘いな兄さんがた。オレっちもいたんだぜ』

 ――ジャガーネコだった。

 ジャガーネコは蹴り飛ばされた。

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