◆◆◆
満天の星空の下、円形野外劇場の舞台に立つ私。
星を遮りながら流れていく雲が悪者に見えてしまって、口の中が苦くなる。
閑散とした客席。整備の行き届いていない舞台下。そよぐ風に揺られているのは公演休止のお知らせ。ちらしはハラリと翻り、土の上におもてを伏せて動きを止めた。
かれこれ二週間、ここで劇が演じられていない。幼い私がここにいたなら「なんでー! なんでなんでー!」と責め立てただろう。
毎日掃除をしに来ているからこそこの街が枯れていくのが目に目えた。溜まっていく埃の厚みが去っていくネコたちの数を教えてくれる。
私一匹で掃除するには広すぎるわね。
ふと靴のつま先に小石が触れた。風で飛んできたのかしらと軽くしゃがんで手をのばす。するとその時、種をまくリーディアのうしろ姿が頭に浮かんだ。
いいえ、あれは私の姿よ――。
大地の神の不在が噂され、メロウ・ハートにも食糧難が押し寄せてきた頃のことだ。私たち劇団員ネコは音漏れ対策の施されている稽古場に集まっていた。
チケットのキャンセルが相次ぎ、興行として成り立たなくなるのもそう遠い話ではないと演出家ネコらは言っている。
『もうここも長くはない。今のうちに伝手を頼って他の街へ避難しよう。バラバラにはなってしまうけれど、いつかまたみんなで』
言葉の余韻に明るさはなかった。
毎日各国からもたらされる情報で分かっているのだろう。これはいつ終わるとも知れない苦境なのだと。もしかしたら終わらないかもしれない。そう思ってしまっている声だ。自然と下も向く。
そこで私が言ったのだ。
『負けるものですか』
立ち上がり、防音壁を突き破ってしまいそうなくらい大きな声で訴える。
『避難する? 講演をとりやめる!? 今こそやらないでどうするの』
叱られた子ネコのような顔がいくつも「しかし……」と眉尻を下げて私を見上げていた。苦しいのだろう。怖いのだろう。ひしひしと伝わってくる。
『提案があります。毎日上演するのよ!』
『リ、リーア……!?』
まだ目の生きていたネコたちまでが度肝を抜かれて私を見た。隔日で上演していたものを取りやめようかと話していたのだ、なのに毎日と言い出す。その反応も仕方ない。ただ、私も酔狂で言ったわけじゃなかった。
『することがないから不安が湧くの。心が荒んでしまうのよ。だったら毎日動けばいい。毎日観にくればいい。それでも余計なことを考えるようならいっそ手伝って貰いましょう! 掃除でも片付けでも裏方に入って貰えば私たちも大助かりじゃない』
『いや、しかし』
『食べ物はまだあるとこにはあるんでしょう? ひっくり返してみんなで分けましょうよ。一匹一匹の分は減るでしょうけど、その分仕事を分ければいい。体力温存作戦よ!』
『それではいよいよ深刻化するばかりだろう。だからこそ他の街で』
カラバの言葉は正論だ。いつか大地が干からびて、育てられなくなるかもしれない芋の苗をみんなでかじってどうする。いいえ、だからこそ私は言わなければならない。
『全員は連れて行けない。ちがう?』
分かっているはずだ、カラバなら。辛いとも思っているはず。それなのに槍玉に上げてしまい悪いとは思う。それでも。
『私たちはきっと大丈夫。国によっては劇団ごと受け入れてくれるところもあるでしょう。だけどこの街から出られないネコだって大勢いるの。全員が全員移住を受け入れられるわけじゃない。長旅の出来ない病弱ネコもいれば罪を犯してしまって囚われているネコもいる。離れがたい想いが根を張って、身動きの取れなくなったネコだってたくさんたくさん』
うつむいたネコたちを残して行くこと。それがどういうことか。
『たとえ、今ある食料すべてをここに残していったとしても、空っぽになったこの街で彼らは、種を植えようとはしないでしょう』
だったらせめて、共に種を。
『そんなネコたちがいるのなら! ここはメロウ・ハートよ。芸術都市メロウ・ハート。 どんなに土地が荒れようとも、心だけは豊かでなくちゃいけないの!』
私は扉を外に開け放つように手を振った。そして見渡した。仲間たちを。
『私たちにはその力がある。そうでしょ、みんな』
ネコたちの目の光が濃くなる。
『観客ネコが減っているのなら舞台下から観てもらいましょう。より近くで、一緒に種をまくの』
種をまき、苗を植えて、水をまく。
考えつく限りの方法を。一緒に。
『困難はあるはずよ。お話と違って加護なんて授かっていないんだから。すぐに芽は出ないし出ても枯れるかも。でも身体は動くわ! 声を飛ばして勇気だって分かち合える。だったら捨てない。この街から始めるの。この街から世界を豊かに――』
◆◆◆
銃声がこだまして、私たちを物語の舞台から引きずり下ろす。
あの日のことだ。
舞台上の私は一瞬、目の前にまで迫った弾丸を見た気がしたけれど、さすがにそれは気のせいだろう。熱い風が頬をかすめていった。
舞台下にいた彼らを見つけたのは私が一番最初だったと思う。なにせ焼けつく銃傷の熱よりも早く、その怯えた視線をとらえたのだから。視線と視線とがピタリと重なると、ネコ拳銃を握りしめていた犯猫の両手が制しきれない震えをおこし、その場に鉄の塊をとり落とした。
以前、みんなでパーティーをした時つまみ食いをしようとしたカラバが確か、ああして揚がったばかりの白身フライを床に落としていたっけ。なんて、そんなのんきな話を思い出した。それは、
「あ……ああ……」
目に涙を浮かべて口を戦慄(わなな)かせている、そのネコの容姿を見たからだ。
……子ネコ?
まだ青年ネコにはほど遠い、幼ネコをようやく卒業したばかりといった少年ネコ。すぐそばには妹ネコらしい一回り小さな三毛の少女ネコもいて、兄ネコの肘をつかんで背中に隠れている。このところよく観に来ていた兄妹ネコだった。
硬直する私の視線を辿り、観客ネコたちが海を割るように振り返ると少年ネコは、
「お、おまえが……おまえがわるいって……」
つぶやきながら腰を抜かしてその場に沈み込んだ。おにいちゃん、おにいちゃん、と覚束ない滑舌の妹ネコの鳴き声が、音の消えた円形野外劇場に弱々しく響いた。それから、音の洪水の中に兄妹ネコは押しつぶされた。
しきりに誰かが私の名前を叫んでいた気もする。もしかしたらみんなかもしれない。あの兄妹ネコは大丈夫かしら。情けない話だけれどそこで意識は暗転した。
後日、子ネコたちは誰かに「あの女優ネコに向かって引き金をひけ」と唆されていたらしいことが分かった。引き金を引きさえすれば昔のように暮らせるはずだと。
それはある意味で正しいことだと思う。
私がみんなをこの街に引き止めているからこそ、彼らは貧しい暮らしを強いられているのだ。難民ネコの受け入れ先は探せばあるかもしれないのだから、そこに注力すればよかったのかもしれない。
結局、誰が唆(そそのか)したのかは解らなかった。
希望なんて、どこかの誰かにとっては疎ましいものなのかもしれない。
◆◆◆
「やっぱりここだ。風邪を引くよ、リーア」
星を見上げていた私の耳に、心地よい低音が響いてくる。寝そべっていたので、床石を伝ってきた音が耳をくすぐった。ゆっくりと舞台袖へと顔を向ける。
アルド。
黒地に浮かぶ赤茶色の毛が、夜闇に舞う優しい火の粉のようだった。
彼はまた説得をしに来たのだろう。あの日からずっとそうだ。新しい場所で親子ネコ3匹、穏やかに暮らそう。そればっかり。そう思ったのが顔に出たのかもしれない。少し笑って首を左右に振っていた。
「君が強情なのは分かってる。今回はテコでも動かないつもりなんだろう? だったら諦めて隣にいたほうが賢明だ。せっかくこんな星空なんだ。愉快な話をしよう」
彼は話してくれた。うなづきと微笑みだけしか返せなくなった私に向かって。幼い頃の思い出。初めてのオーディション。そしてリーディアになっていいと言われたあの日のことも。
楽しかった。幸せだった。満たされていた。
――いくら声が出なくても、やりようはあったはずだ。
脇役でもいい。裏方でもいい。みんなの声を借りてもう一度公演を再開すればよかったのだから。今からでも立ち上がればいい。形は違っても、あのつよさを持ったリーディアとして。
けれど私は弱かった。
声が出ない。何もかも奪われた気がして動けなくなった。
リーディアでいられない。妬ましさで胸が壊れそうになる。
つよくなれたと思ったのになぁ。
だから余計に堪(こた)えたみたい。
アルドの話を聞きながら、私は涙が止まらなくなり、ついには泣きじゃくってしまっていた。しかもそのまま寝たらしく、起きたら知らない街に連れてこられていた。まったく、アルドときたら相変わらず悪知恵が働く。
その後も随分彼を困らせたけれど、カルティアさんの祖父母の故郷であるという雪の街は居心地のいいところで気に入った。狭くはある。が、なんと言っても雪がいい。何もかもを白く覆いつくしてくれる。身体の動かしづらい冬を大好きな季節にしてくれた。
平穏な日々だった。
けれどその日、私は久しぶりに娘を抱いて、手を震わせてしまったのだ。
この子ネコとは関係ない。そう思っていても――
――怖い。
弱い私は子ネコを残して命を断った。
雲のない、カラッとした空気の、とっても気持ちのいい日のことだった。
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