(56)あわあわの幕間5:サビネコ兄弟とピサトの残り火④ 『一斉浄化作戦』当日

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 『メトロ・ガルダボルド』の夜に戒厳令が敷かれるのはそう珍しい事ではなかった。街ネコたちの対応も手慣れたもので、文句を言うものはなく、理由をとやかく聞いて来るようなネコもいない。

 ただ、今回の作戦はすべての『残り火』たちを”捕獲”し尽くすまで終わらないため、時間帯によっては外出してしまうネコも予想された。よって『一斉浄化作戦』には『2つの動き』が生まれる。

「俺たち隊員ネコは、地域巡回を徹底する。どうしても外に出なけりゃならないネコがいたのなら必ず付き添え。手伝ってやって、とっとと終わらせるんだ。ただし口止めは忘れるな」

 1つは隊による”巡回警備”の動き。そして、

「『残り火』を見かけても対処しなくていい。よほどのことが無い限り、ヤツらは”鎧”に任せろ」

 もう1つは”鎧”と呼称される兵器による”捕獲”の動きである。

「”鎧”は都市の外側を囲うように配備してあり、定刻になれば一斉稼働する。その後、包囲を狭めながら任務を遂行し、最終的には隊舎へと戻ってくる予定だ。そこまでは全自動でやってくれる。が、最後、中央への返却は俺たちが面倒を見る必要があるからな。まぁ作戦がうまくいけば明日からは待望の休暇だ。ぶっ倒れても問題ねぇから最後まで使命を果たせ。いいな」

 返ってきたのはまばらな笑い声だが、どの顔も”隊員ネコの表情”だ。ハチミツは「士気は上々」と口元でつぶやきコハクを見る。

 うなづきは一つ。作戦開始だ。

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 『ネコソルジャー・デス』という大戦時の遺物について、サビネコ兄弟は徹底的に調べていた。その燃料としてネコの死体が使われるというのも知っていたし、さらには今回使われる死体が、今までに処刑された『残り火』たちのものであることも分かっていた。覚悟は決めていたつもりだった。

 だが、運搬されてきた現物を目の当たりにすると心が揺らぐ。

『最硬金属ネコハルコン』で作られた鎧。”そういう形をしたネコの変換装置”を見て、おぞましさを感じずにはいられなかった。この中には死体が入っており、これから徐々にそのカタチを崩されて、やがては燃料として消費される。

 それはネコ倫理的どうなのか。自分たちは今、有事の空気にのまれてしまっていて、何か大きな間違いを犯そうとしているのではないかと、頭の中で何度も警鐘が鳴っていた。

 そんな不安を噛み殺し、心を鬼ネコにして作戦開始の合図を出したのが、午後9時ちょうどのことだ。窓の外は闇。静寂が緊張を連れてくる。しかし、それから10分20分と時が経つにつれて、不思議と心が穏やかになっていくのをハチミツもコハクも、「殲滅殲滅」と息を巻いていた他の隊員ネコたちも感じていた。

 殲滅ではなく捕獲。

 そのことがネコたちの罪悪感を少なからず和らげていたのかもしれない。

 これは作戦の提案を受理するにあたってハチミツたちの出した条件だ。いくら”残り火”が戦闘訓練を積んでいるからと言って、大戦時の虐殺兵器からすれば只のネコ。スペックの違いは明らかだ。であれば生きたまま捕まえるよう、”ネコソルジャー・デスの命令を書き換える”ことも出来るのではないかと、その方法を見つけるために、兄弟は徹底して調べたのである。

 2匹は、巡回警備の順番が回ってくるまでの間、執務室の壁に映し出されているリアルタイムの”状況”を眺めていた。

「どんどん『青のネコマーカー』に切り替わってくね。このペースなら明け方までには終わるかも」

「ああそうしてくれるとありがてぇな。しかしよぉ、補佐官ネコ殿はなんでまたこんな時間に率先して巡回に行ったんだ? 街ネコの外出が気になるなら、それこそ明け方くらいに行けばいいと思うんだが」

「そうとも限らないでしょ。いつどこに「自分は大丈夫」と思って外出しちゃうネコがいるかわからないんだし。そういうのこそ『ネコAI』で予測できればいいんだけどね。まぁ、あとは……」

 コハクの頭に浮かんだのは補佐官ネコの瞳。ハチミツも同じだ。

「そりゃあ、まだ燻ってるよな。処分覚悟で独断専行しちまうくらいだし。娘さんと孫3匹、だったか……。捕獲された『残り火』に何かしちまわねぇよう、用心しとかねぇとな。仲間ネコを”堕とす”ようなことだけはしたくねぇ」

「うん。せめてそれだけは」

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 日付が変わって午前4時過ぎ。空がまぶたをあけるように夜があけていく。

 これまでに入った報告によれば、病気やケガ、事前に届け出のあった重要な仕事での外出以外は、わがままに違反をするネコもおらず、いたって静かな夜だった。

 ネコソルジャー・デスは包囲を狭めていき、午前2時半までには『残り火』たちの拠点を全て潰していた。現在は散り散りになったネコたちを追い詰めている様子。赤色のネコマーカー(未捕獲の残り火)は少ない。

 青色のネコマーカー(捕獲済の残り火)は拘束され、随時護送車に運ばれている。護送車の警備や監視には、ネコソルジャー・デスを余裕をもって配備してあるため、これなら、うらみを持った誰かが罪を犯すようなことはないだろう。サビネコ兄弟はそう自分たちに言い聞かせると、執務室を離れて、順番の回ってきた巡回警備へと出かけたのだった。

 2匹の巡回範囲は、隊舎まで5分以内の場所に限られていて、自宅もその範囲内に入っている。こういう時は大概、「ちょっと家に寄っていいか」と言い出すのはハチミツの方で、それを窘(たしな)めるのがコハクの役割だったのだが、この日は少し違った。

 どちらも口を開くことなく、隊舎を出るなり自宅へと車を走らせる。

 ネコソルジャー・デスの包囲網に追い立てられた『残り火』の反応が、サビネコ兄弟の自宅周辺へと集まっていたのだ。

 今回の作戦を恨んでの襲撃かとも考えた。が、それならどうして隊舎を狙わない。いや、ここなら”浄化”の手が届くまいと考えているのか……。答えの出ない疑問に運転の注意を削がれながらも、自宅へと到着する。

 車を止めてすぐのことだ。ネコの気配を感じた。

 家にあがり込んでいる……?

 隊舎を出た時点で、この辺りに潜む『赤色のネコマーカー』は20を超えていた。下手をすればそこには30匹以上の『残り火』たちがいる可能性がある。ネコソルジャー・デスの包囲網が狭まるのを待つか、という葛藤はあったものの、それとは別の、心をざわつかせるものを感じた2匹は、玄関の引き戸を開けた。

 いざとなればネコダッシュで逃げればいい。

 頭の隅で逃げ道を確認しておく。

 靴は脱ぎ、靴下もその中へと突っ込んだ。足の爪まで使うためである。

「……おーい、誰だぁ? 俺んちに勝手に上がり込んでんのはよぉ」

 威圧的にならないよう、できるだけ気の抜けたしゃべり方をするが、わずかな声の強張りが嫌に耳についた。

「返事が無いと怖いなー。ケーサツにでも通報しよーかなー」

 コハクの方はもっとひどい。本猫もそう思ったようで、ハチミツから目を逸らした。と、気が緩みかけたその時だ。

すっ、とふすまの開く音がして2匹のヒゲがピンと伸びる。使える感覚をすべて使って、音の出所が寝所の押し入れだという当たりをつけると、そこから出てくるネコの気配を頭の中で絵にしていく。

 恐る恐る開かれたふすま。中に積まれた布団の擦れる音。中板の小さな軋み。畳に爪先を届かせようと足を伸ばし、最後にトンと飛んで着地すると、その音を肉球が吸いとった。どうやら子ネコらしい。何匹もいる。手をつかみ、頭をブンブンと左右に振って「ここにいて」と訴える様子も、ヒゲで感じ取った。

 どうしようもなく嫌な予感がする。

 鍛えられた肉体と精神とによって、長らく忘れていた焦りの心音。それが、と、と、と、と、と警戒なしに近づいて来る足音に、重なっていく。「やめろ、くるな、姿を見せるな」と、音にするとしたら、そういう感情が頭の中で暴れていて、思考をぐちゃぐちゃにしていた。息苦しい。めまいを感じた。吐き気も押し寄せる。そして、

「お、お、おかえりなさい。ご、ご、ごめんなさい勝手、に」

 と、ホッとしたような顔で子ネコが言う。けれど最後まで言葉を口にする前に、ハチミツは飛びかかっていた。

「兄ちゃん!」

 ハチミツの手が子ネコの頭を抱える。首に手を巻きつけ腕に力を込めた。

「大丈夫だっ!」

 子ネコは何ごとかと目をぱちくりさせてその肩ごしにコハクを見つめる。ハチミツは、

「心配いらねぇ。お前は、きっと……大丈夫だ!」

 子ネコを抱きしめながら、拳で自分の額をガツガツと叩いた。動け動けと、働かない頭を血が出るほど乱暴にノックし続ける。

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