(52)6-18:ネコ鞭

***

 『史上最悪の殺猫兵器』について語り終え、満足そうな顔をしているキャティ・マッド・グレース。

 茶色いマイケルの耳は、先の先まで震えていたよ。ただしそれは、『ネコソルジャー・デス』に対してじゃない。

 たしかにその話は子ネコにとって衝撃的だった。それはそうだろう、今、サビネコ兄弟と戦っている姿を見ても怖いし、『ネコ・グロテスク』の話と比べてもひどいと思う。ネコを使い潰すなんて、本当に信じられない行いだ。

 だけど、それよりも、この、目の前でニタニタと顔を歪めているキャティの方が今はよほど怖い。カタカタ揺れる中身の見えない箱を、顔の前に「ほらほらほらっ!」と差し出されているようで、目も耳も塞いで縮こまりたくなる。

 どうして平気? どうして楽しそう? どうして笑っていられるんだろう。

 子ネコには分からなかった。だからその考えに囚われてしまいそうになったていたんだ。だけど、

「お前たち」

 灼熱のマイケルの声が、震える耳をぎゅっと掴んだよ。

 サビネコ兄弟の戦いを、瞬きひとつせずに見つめる横顔。絶え間なく黒目が動いて、成ネコたちの動きをつぶさに追っている。

「虚空、お前の目になら、ワシに見えんものも見えるはず。茶色と果実も頼めるか」

 声は落ち着いて、そして熱を帯びていた。まるでキャティの話を一切聞いていなかったみたいにね。

 途端に耳の震えはどこかへ飛んで行った。

 今、灼熱のマイケルは、必死になって何かを掴もうとしているんだ。だったらさ、仲間ネコのするべきことは、意地悪な長毛白猫の笑みに怯えていることかな?

 茶色いマイケルは2匹の足元に隠れるのをやめ、普通に立ちあがった。なんて情けない恰好をしていたんだろう。そして戦いの音に耳を澄ませたよ。

「へぇ、思ったよりも“強い”じゃないか。アンタやっぱり過保護だったみたいだねぇ。もうアレの芯をとらせてもいいかもしれないよぉ?」

「……成ネコの出る幕じゃないわ」

「そうかい、なら客ネコとして鑑賞させてもらおうか」

 キャティとリーディアさんの言い合いはひどく冷めていた。

 一方、大通り。

 そこではネコソルジャー・デスが、6本の赤黒い”ネコ鞭”を振り回し、ピシャン、ピシャン、と激しく音をたてながら、サビネコ兄弟を襲っている。

 ネコ鞭の先端が地面を叩くたび、アスファルトは弾けて跳ね上がり、破片が辺りにばらまかれる。ぼんやりと煙って見えるのは、すごく小さな破片が漂っているからだろう。

 サビネコ兄弟はネコ鞭をすべて躱しているらしかった。いいや、ネコ鞭どころか舞い上がった大きめの破片さえ避けている。

「……あのネコ鞭の先端には何かついているな。どうもサビネコ兄弟はそこを警戒しているようだ」

「それねぇ、多分『殺猫剤』だと思うよぉ。さっき飛んできたときと同じ匂いがするからさぁ」

「厄介な。しかしそうか、それと分かっていればああして”いなす”ことも可能というわけだな。一見無軌道に見えるネコ鞭のしなりにも、規則性はあるようだ。茶色はどうだ、何か気づいたことはないか?」

「ぼ、ボクは……」

 まだ、と申し訳なさそうに言おうとしたところだった。

『空気圧縮プロセス……100パーセント。完了。『ネコの手』による多段噴射を開始します』

「あっ、圧縮が終わったって!」

「「「!?」」」

「へぇ、茶色の坊やはいい耳をしているねぇ」

 すぐ後にビープ音が、ピー、ガー、と微かに鳴った。

「今のは聞こえたかい?」

 うん、と視線を向けずに応える茶色いマイケルに、キャティ―は「その音が合図さ」とつぶやいた。

 すると即、ネコソルジャー・デスの”ネコ鞭”が一斉にギュンと縮んだ。”根元”がどくんと膨らむ。殺猫剤だろう。ポンプみたいにくみ上げて、6本のネコ鞭を使って噴射しようとしているんだ。あぶない! と声を飛ばそうとしたんだけど、

「「ハァッ!!」」

 距離をとっていたサビネコ兄弟が、ネコ鞭の縮むのに合わせて一瞬で詰め寄り、膨らんだ”根元”のあたりに手を差し込んだ。「速い!」なんて思う間もない。危険を察したのかジタバタと機械の手足を暴れさせるネコソルジャー・デスが、そこで急にガクンと崩れ落ちた。鎧は、その場に胴を叩きつけて動きを止めた。

 わずか数秒の出来事だった。

 ハチミツさんとコハクさんの荒い息が40メートルは離れている茶色いマイケルたちのところにまで届いて来る。

 ハチミツさんが、子ネコたちに向けて親指を立てた。

***

「おい、チムよぅ。泡になったの見たかぁ↑!?」

「イィィィヤッ! 見てないねぇ。おい兄さんたちィ、こりゃあ一体どういうこった!?」

 真っ先に駆け寄ったのはトムとチム。その後ろには足元をふらつかせて他のマタゴンズたちも立っている。問われたコハクさんは地べたに座ったまま、

「ああこれね。ほら、もうすぐ再起動するから」

 と崩れているネコソルジャー・デスを軽くぽんぽんと叩いたよ。

 なっ!?

 と、そこにいた全員が驚いたのも無理はない。ネコソルジャー・デスが何事も無かったかのようにぴょこんと起き上がったんだ。

『プログラム再起動。命令を初期化しました。プロセスイニシャライズを開始します』

「所有ネコ変更。消毒モードを停止させ、遅滞防御に特化しろ」

『遅滞防御モードに移行します。空気圧縮率100パーセント。殺猫剤の使用はいつでも可能です』

「不要だ。圧縮空気だけを残して殺猫剤を無害化。終わり次第タンクをパージ」

『命令を実行します。プロセス最適化……完了。殺猫剤撹拌プロセス……』

 微かなビープ音だけをさせながらネコソルジャー・デスは沈黙する。その様子を見て、ずぃっと前に出てきたのはキャティだ。

「アンタら、扱えるのかい?」

「あ? まぁな。昔こいつらと関わることがあってな、そん時に一通り学んでおいたんだ」

「なるほどねぇ。芯を取る以外にも無力化の方法があるとは。それでっ、方法は?」

「やけに食いつくじゃねぇかオバハンネコ。悪ぃ顔しやがって」

「そうよ、何に使うか分かったもんじゃないわ。教えちゃダメ!」

「バカ言ってんじゃないよ。アンタらだってわかってんだろう? コイツが単独で現れた意味をさ」

 その言葉にはサビネコ兄弟だけじゃなく、リーディアさんの顔も曇る。他のネコたちの空気も重い。トムとチムだけは「「燃えるぜぇえぇ!」」とか言ってたけど。

「……やり方自体は簡単だ。芯を取る要領でプログラムを書き換えればいい。つっても、プログラムの全体像をイメージ出来なきゃどこをどう書き換えていいのかは分からねぇだろう。とりあえずは俺に任せて」

『所有ネコ変更完了。プロセス継続します』

「できたわ!」

 いつの間にかサビネコ兄弟たちの後ろに回り込んでいたリーディアさんが、ネコソルジャー・デスに手を伸ばしていて、もう片方の手でこぶしを握って声を弾ませた。

 子ネコたちは「すごい」と拍手をしたけれど、

「ちっ」

「「ちっ」」

「「「「ちっ」」」」

 素直になれない成ネコたちは舌打ちをしていたよ。

 そんなこんなで一息ついたネコたち。「さて、そろそろ……」とキャティが話題を変えようとしたところだった。

 これからの事を話すのだろうと耳をそばだてていると、

『『ちゃーいろっ!! みつけたー! あはは!』』

 と、茶色いマイケルの背中に、ドスドスっと何かが落ちて来たんだ。

『まだこんなとこいるー! なんでー!』

『もしかして待ってたのー? 一緒に行くー?』

『待ってないよー、だってネコだもーん!』

『あはは、茶色、ネコー!』

 キャッキャコロコロと茶色いマイケルの肩や頭の上を跳ねまわるのはコドコドたちだった。つまりそれは、

「みぞれネコさまと、つららネコさま!」

 『白い群れ』の神ネコさまたちだ。

『あはは、ネコさまじゃー!』

『ネコネコさまじゃー! あははー!』

『名前おぼえてる茶色はえらいからー、ほめてあげる―!』

『えらいえらいー!』

 両肩に乗ったコドコドたちの頭が、茶色いマイケルの頬にぐりぐりと擦り付けられる。泡になりかけた。そのまましばらく、いや、ずっとそうしていたかったんだけど……。

『あ、そーだ! あのねあのねー』

『早く行った方がいいってー! なんかねー』

『いろんなのがねー』

『いっぱいいっぱいがねー』

『『あつまって来てるってー!』』

 あどけない声は、その場のネコに緊張を走らせる。

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