(27)あわあわの幕間2:大戦の残火 殺猫鬼ムル③ その日を境に

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 ウーラ孤児猫院に『一斉消毒』の依頼が届いたのは秋口のことだった。

 ムルたち『ピサト』の活躍もあり反撃の勢いを増していた軍部は、冬になる前に敵国の重要拠点を壊滅させるという決定を下した。その知らせを誰よりも喜んだのは他ならぬウーラ院長ネコだ。

「ついにこの時が来た。君たちが胸に抱いたこの日がついに来たのだ。待ち焦がれる日々の中で幾匹もの仲間ネコたちが逝ってしまったけれど、彼らは私たちの中で生き続けている。一緒に連れて行ってやってほしい、感涙の幸いの中へと」

 ムルはその晩、興奮してなかなか寝付くことができなかった。あまりに目が冴えていたので途中からもう眠ることを諦めて、格子のついた窓からまん丸に輝く月を見ることにした。その光を浴びていると力が溢れてくる気がして、その充実感にいつの間にか目をつむっていた。

 目が覚めたのは悲鳴を聞いたからだ。

 それは起床時間前のことだったが、その喉を潰すような尋常ではない叫び声に他のピサトたちも部屋を飛び出していた。

 その先で悪夢のような光景が待っていた。

「な……で……」

 ムルだけではない。ムルより後輩の、まだガスの後遺症の残ったネコたちまでが静かに声をひねり出していた。

 そこは、死んだ先輩ネコの棺を前に、ウーラ院長ネコが泣き崩れていた大食堂の真ん中。その後ろ姿に誰もが涙を流し、しかし顔を上げて拳を固く握った姿に発奮した、あの場所。

 そこでウーラ院長ネコが首を吊って死んでいたのだ。

(なんで……?)

 誰もが感じていた疑問の答えは、傍らに置かれたネコラジオから聞こえて来た。

『……――ガガッ……民ネコの皆さ……終――す。終戦です。昨日未明、つい――ロ・ガル――ドとリー……ガリ――の間……和平条約が結ばれ、――長きに――ネコネコ大戦が終わりを迎――となりました。これに伴い――国首相ネコは――部に即時停戦命……出し、また今後一切――かなる理由があろうと武力行使を禁ずると――』

 あちこちに投げつけられて廃棄寸前となったネコラジオは、虫食い状態の放送を繰り返し繰り返し、録音のように繰り返し伝えていた。喜びの声色で。

***

 軍部の動きは迅速で、孤児猫院には早朝のうちに密使が送られ、一斉消毒作戦の破棄と消毒行為の無期限停止が通達された。それを聞いてセンセイが3匹とピサトが6匹、自室で死んだ。

 当初の計画で軍部は、ピサトの存在は憎しみを焚きつける火種となりかねないという理由から、和平交渉がまとまった暁には一斉処分を検討していた。

 しかし、この孤児猫院に響き渡った悲鳴と、いつもと様子の違う孤児猫たちを心配して駆けつけた近隣住民ネコたちが死体の第一発見ネコとなった。普段から親交の深かった隣猫の中には、著名な慈善活動家ネコもおり、軍部もすぐには手を下せない状況に陥る。さらに、表向きは超優良な孤児猫院ということもあり、この事件は終戦直後の悲劇としてセンセーショナルに伝えられた。

 軍部にとって幸いだったのは、ピサトの存在を示す証拠が、一切残っていなかったことだろう。それは、戦後の慌ただしさの中でこのネコたちの存在が忘れ去られるには十分な理由だった。

 こうしてピサトたちはバラバラにではあるが、慈善活動家ネコたちの奮闘もあり、平穏な一般社会へと溶け込むこととなる。

 院長ネコの死に強いショックを受けたムルも、

「大丈夫心配いらないわ。あなたたちはまだまだ若いんだもの。今何もできなくたって、挑戦し続けていればきっとどんな壁でも乗り越えられるんだから。だから頑張りなさい! 頑張れ頑張れ!」

 という勢いに乗せられ、仕事を見つけることができた。

(こんなに親身になってくれるネコが院の外にもいるんだなぁ。これならぼくにもできる仕事があるかもしれない)

 最初に勤めた店は、廃棄寸前の備蓄食糧をとにかく売りさばくことを目的として軍部のコネで作られた民間ネコ会社だった。仕事の内容は店頭での食糧販売。店と言っても道の端にござを敷いての露店である。大通りには他の露店もずらりと並んでおり、大変な活気と賑わいの中、食糧は黙っていても飛ぶように売れた。

 しかし売り物が尽きるとムルは瞬く間に解雇されてしまった。

「黙っていてもバンバン物の売れる時期は終わったんだよ。悪いがまともに口もきけないんじゃうちの戦力にはならないな。はい、これお給料。ま、一時でも助かったよ」

 この頃にはもうムルは青年ネコと呼べる年齢になっていて、喉を麻痺させていたガスの影響は無くなっていた。しかし長年使ってこなかった声を、いきなり仕事の武器にすることなどできない。

 ムルはこの店主の言はもっともだと、思ったよりも重い給料袋を握りしめて次の仕事を探すことにした。

 その次に勤めたのは商品輸送の仕事だった。

 備蓄品の吐き出しが終わると今度は他都市との交易が復興の主軸となってくる。そこに生まれた需要にムルは飛び込んだのだ。

 身体はほんの幼少のころから鍛えてきているし、自動車の運転やリフトの扱いも一通り知っている。この仕事ならできるとムルは思った。

 しかし一年もすると解雇を言い渡されてしまう。

「すまないな。停止していた食品プラントラインが再開してから、他の都市とのやりとりが減ったんだ。需要が食料以外に向くようになればまた輸送量は増えると思うんだが……まだ見通しは立っていなくってね。残念だけど。はい、これお給料」

 素直なムルはこの社長ネコの話にもすぐに納得していたけれど、理由が他にある事には気づいていた。それもまた、やはりコミュニケーションの問題だった。

 輸送に関するムルの働きぶりは周りも認めていたものの、口を開けば「あ、お、あ」と挙動不審な態度になってしまうムルに対し、荷物を運ぶいくつかの配送所で陰口が横行していたのだ。

 ムルは苦笑いでごまかしていたが、その卑屈な笑顔に胸を痛め、また、それが負の空気を助長するのではないかと考えた社長ネコが判断を下した。

(院の外はこんなにもコミュニケーションに気をつかわなきゃならないのか。難しい場所だなぁ)

 そう改めて考えた時に浮かんできたのは、今は無きウーラ院長ネコの言葉だった。

『どうしても乗り越えられないことならばもっと簡単な一歩から始めていこう。今までやってきたことの繰り返しだっていい。それでも少しずつは進んでいるんだからね。そうしているうちにきっと道は見えてくるはずだから。出来ることをやればいい。それは無駄にはならない。どんなものにも使い道はあるのだから』

(ぼくに出来ること。簡単な一歩から……)

 気持ちを切り替え、目的を明確に絞ったムルの目に、一枚の求猫チラシが飛び込んできた。

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