(25)あわあわの幕間2:大戦の残火 殺猫鬼ムル① 孤児猫院

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 その赤子ネコは、路上の端で『猫買い』に買いとられた。

 ちゃりん、と掌に落とされた小銭の軽さに母ネコは顔をしかめたけれど、

「今の時代、アンタみてぇな親ネコがわんさかいるんだ。後ろを見てみなよ。薄情が列を作って並んでやがる。バカみてぇな話だが、子ネコよりも小銭の方が足りてねぇんだ。というわけでだ、どうする? やめとくか?」

 と、猫買いに逆手で手招きされると、化粧をし直すようにパッと媚び顔を作って「またよろしくねぇ」と言い残し列から外れた。これが赤子ネコと親ネコとの今生の別れの瞬間だ。

 猫買いは『ウーラ孤児猫院』という施設に赤子ネコを転売した。

 そこは数ある孤児猫院の中で、最も子ネコが健康的に育つと評判の施設。最上位のお得意さまである。しかも金払いが良い。

 院長ネコのウーラは赤子ネコを大事そうに受け取ると、

「この子たちは素晴らしい可能性を秘めている。どこをとっても価値の塊だ。まったく無駄にするところが無い。本当ならすべての赤子ネコをうちで育てたいのだがね、残念ながらあまり目立つ真似はできないのだよ」

 その言葉の通り至極残念そうに笑い、今回の支払いと次回の打ち合わせをして取引を終えた。赤子ネコは『ムル』という名前をつけられた。

 孤児猫院に入った赤子ネコはまずガスを吸わされる。

 これは声帯を麻痺させ、鳴くことはおろか、まともに声を出すことさえ難しくなるガスだ。効果はその時の濃度にもよるが、子ネコを卒業する年齢まで続く。

 泣かない赤子ネコは世話がしやすいのだ。

 育てる側に負担がかからないと可愛がられ方も変わってくるというもので、すると自然、素直で成ネコの言う事をよく聞いてよく努力するつごうのよい子ネコが多く育ち、その後の”仕事”の覚えも格段に良くなるため、この孤児猫院では長くこの方法がとられていた。

 とはいえこのガスは高価で、育成に継続的にかかるコストを除けばもっとも高い出費である。この時代の子ネコに使うような額ではない。

 加えて、この院内での待遇はよそとは比べ物にならないほど良い。

 座って眠れる広さの個室が用意されていて多頭崩壊することがないし、戦時中であるにもかかわらず食事は3食おかわり付きで用意された。さらには、子ネコをストレスのはけ口にするような”センセイ”もおらず、小声の愚痴さえ耳にすることのないよう職場の管理も徹底されていた。

 なぜそれほどまで手厚く、コストをかけて育てられるのかというと、ここは孤児猫院という猫の皮を被った『ピサト』の育成施設だからである。

 ピサト。

 悪魔ネコ。

 ”消毒”を生業とする子ネコたち。

 長く続いた『ネコネコ大戦』の、その後期において滅亡寸前だったこの国に起死回生の一手をもたらし続けたネコたちの集団。もっと踏み込んで言えば、”限りなく息の長い消耗品”で、つまりこの孤児猫院の商品たちである。

 そのため、この孤児猫院はよそよりも配給が多く、それとは別に報酬も払われ、さらには税や公共料金の免除、その他物資の支給など、多くの特権を与えられていた。子ネコを健やかに育てれば育てるほど院が潤うという、仕事としてはもっともやりがいのある流れが、この院内にはあったのだ。稀に見る業突張ごうつくばりの院長ネコとしても実入りの良い美味しい仕事であった。

 孤児ネコたちには2つの目標が与えられる。

 1つ目は、日々の訓練や学習に対して設定される”小目標”。孤児ネコそれぞれの能力を見極め、毎日、あるいは毎時間ごとに”達成させるため”に立てられる。

 2つ目は、猫生の最後に達成するべき”大目標”だ。院長ネコは、

「君たちは、鎧に乗るために選ばれた特別な子ネコたちだ。この鎧は、不実な”ばい菌”を消毒するための力を持っていて、ばい菌どもの侵略から私たちのことを守ってくれもする。そして、どんな”ごほうび”よりも君たちを幸せにしてくれる! 苦しい訓練も、悲しい出来事も、すべてはこの鎧に乗るまでのこと。鎧に乗れば、それまでのどんな辛いことからも解放され、素晴らしい喜びが得られるのだよ……!」

 と、ことあるごとに孤児ネコたちにすり込んでいた。

(ごほうびよりも……!!)

 小目標を達成できた者には、毎回”ごほうび”として夕食に特別な一品が加えられる習慣があった。小皿の真ん中にほんのちょっとだけ盛られたミンチ肉なのだが、これがまた子ネコにとってはたまらなく美味しく感じられるのだ。

 というのも、いくら3食きちんと食べられるとはいえ戦時下の配給品。嗜好品はなく、味付けもごくごく薄くされているため、香辛料のたっぷりきいたこの肉は唯一塩気のあるもので、子ネコたちには目の色を変えるほどの”ごほうび”なのである。

 もともと小目標は達成しやすく設定されているため、どの子ネコたちもこのごほうびを食べるために先へ先へと、少しでも多く食べるために必死で取り組んだ。

 特にムルは猫一倍、この肉に対する執着が強く、

(こんなにおいしいんだったらそれ以上の喜びって……)

 と、”鎧の話”を聞く度に目を輝かせていた。

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