(21)5-7:甘そうな名前

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 ドン、バン、ゴツン、メキッ、とネコ武術の闘いというのはそういう音がするものとばかり思っていた。

 だけど目の前で繰り広げられているものに音らしい音はなく、あるとすれば赤ちゃんネコの肉球に触れる時の、ぷにっという鳴ったのかどうかも怪しい、”視覚的な擬音”だけ。見た目には鳴っているような気もするけれど、たぶん鳴っていない。そんな音だ。

 それくらい静かな闘いだった。

 静かで、いっそ心が落ち着いてくる。

 茶色いマイケルも男の子ネコの例に漏れず、すごいネコバトルを見て興奮し、夜中に目が冴えてシャードーネコジャブを打ちまくるという経験はよくあった。だけど今目の前で行われているのは、そんな興奮とは遠いところにある。

 物凄く頭の冴えた朝に、たくさんの計算問題をすらすらと解いているような気分。あるいは、滑らかな触り心地の組木細工が、寸分の狂いもなく、すぅっと吸い込まれるようにはまっていくのを見ている気分。

 荒さが無い。まるで踊りだ。

 ネコ武術ド素人ネコの茶色いマイケルでも、そこに途方もなく高い技術があるというのがわかったんだ。

 ただし一方的だった。

 一方的に、灼熱のマイケルの攻撃が受け流され続けていた。

「くぅっ!」

 呻き声の他にも、拳や蹴りを繰り出すたびに口から荒く息が漏れる。そうとう苦しいのだろう、集中しすぎて視野が狭まっているのが、外からでも見えるんだから。

 対してサビネコ兄は、時の女神さまほどとはいかないけれど、灼熱のマイケルだけじゃなく茶色いマイケルたちまでを含めた周りの景色すべてを眺めているような、涼し気な目をしていた。

 全部知っているみたいだ。

 相手をリードしながら踊っているようにしか見えない。

 普段なにかとケンカっ早い灼熱のマイケルを見て、その強さに尊敬の念さえ抱いていたため、この状況は茶色いマイケルにとって衝撃的だった。

 神さまと対峙しているわけじゃないんだ。相手はネコ。いくら強くても超常の存在ってわけじゃない。確かにカラバさんとは戦いにもならなかった。だけど灼熱のマイケルは、特別教練とその後の経験で、格段に強くなっているはずなんだ! でっかい噴石も粉々にしちゃうくらいなんだから……!

 なのに、子ネコの顔に浮かんでいるのは苦悶。

 ネコパンチの爪の先さえ相手に届かない。

『おー、あいつもすげーなー』

 肩の上で『シュシュッ』とネコパンチを繰り出している風ネコさまのワクワクした声が、少し苛立たしく思えてしまう。

 そうして、何十、何百と重ねられた拳はやがて、

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 と灼熱のマイケルが両手をだらりと下げたことで、ぶつかることを止めた。それを見てサビネコ兄がスッと力を抜いて姿勢を戻す。2匹はそれぞれ高さの違う視線を交差させたまま、しばらくの間向かい合っていたよ。茶色いマイケルたちが口を出せる雰囲気はない。

 口を開いたのは灼熱のマイケルだ。

「名前を、教え……てくれ」

 苦し気な声。だけど、不思議と清々しいものを感じた。

 サビネコ兄はもっとカラッとしていて、

「あ! そういやまだ名乗ってなかったなぁ、すまんすまん。俺ぁハチミツ。あいつはコハク。『メトロ・ガルダボルド』のサビネコ兄弟といやぁ、俺らのことよ」

 と、最初に会った時のような陽気さで応えた。2匹とも数秒前まで真剣な闘いをしていたとは思えない素早い切り替えだ。茶色いマイケルたちの方が戸惑っちゃうくらいさ。

「……そうか、だがそんな都市の名前は聞いた事が無いな」

「ああ!? どこの田舎者だよ」

 ハチミツさんはマズルをニッと持ち上げて、

「”灼熱のマイケル”」

 と名前を呼んだ。灼熱のマイケルはうつむき、

「……ククク。田舎、というほど無名ではないと思うがな」

 と、愉快そうに笑う。そこで灼熱のマイケルがふらりと倒れかけたのを見て、3匹のマイケルたちは駆け寄って体を支えた。その時小さく「すまんな」と聞こえたよ。

 それを聞いていたのかハチミツさんは、

「安心しな、何もお前らにリタイアして欲しいわけじゃねぇ。たっぷりと遅れてくれるだけでいいんだよ、俺としてはな。だから”コイツ”で進んで行って、俺らの姿が見えなくなったら適当なスラブ見つけて次の中継所を目指しな」

 と穏やかに言い、親指で”プルーム”を示した。

 茶色いマイケルたちは、灼熱のマイケルに肩を貸しながら言われたとおりにプルームへと乗り移ったよ。その間、ハチミツさんたちは子ネコたちから目を離して、ストレッチをしながら「腹減ったなー」「この身体お腹空かないでしょ」「そうか? 気分だよ気分」などと軽い調子で話をしていた。

 ただ、子ネコたちが乗り終えると、

「よし、乗ったな」

 とぴったりのタイミングで振り返った。まるでしっぽに目でもついていたみたいだ。いや、ヒゲで空気の流れを読んだのかな。今度やってみよう。

「それじゃあ、くれぐれも俺らの姿があるうちは乗り換えるんじゃねぇぞ? そのあとでなら好きに」

「兄ちゃんそれさっきも言ったー。親切と思って言ってるのはわかるけど、しつこいと子ネコに嫌われちゃうよぉ?」

「るせー! 俺はもう悪者ネコなんだからいーんだよ!」

「ぷくく、すねてるすねてる」

 ハチミツさんは「あんだとぉ!」と腕を振り上げたけど、ふっと力を抜いて頭をガシガシと掻いた。

「ついでだ、灼熱のマイケル」

 子ネコが顔を上げる。

「お前が鍛えてるのは十分に伝わってきた。だけどな、過信はするんじゃねぇ。”力”ってのはなぁ、安易に使えば自分に返ってきやがるんだ。使い方を間違えれば大事なものにまで降りかかってくる厄介なもんだ。守るべきものがあるならなおさら心に留めとけ。

 あとなぁ、お前の拳にはトゲがあった。”てっとりばやく片付けちまいたい気持ち”が滲んで、荒々しいだけのものになってやがるんだ。

 それは心にささくれ立ちを生むぞ。

 目を曇らせ、”見えるはずのもの”どころか、”見えてるもの”すら隠しちまう。いいか、よく聞け。心を溢れさせろ。心をたっぷりと満たせ。そうすれば見えなかったものさえよく見えてきて、お前の拳は自由になる」

 真剣な顔つきでそう言ったハチミツさんは、最後は照れくさそうに、

「年長者の……いや、勝者だ! 勝者である俺の言葉だ、ありがたく聞いとけ! またな! おいコハク!」

 と言ってスラブを離して行ってしまった。コハクさんは茶色いマイケルたちの方を見ずにしっぽを振っている。

 その後ろ姿を見つめながら、灼熱のマイケルがポツリと、

「ハチミツか。甘そうな名前だ」

 とつぶやいたのは、たぶんみんなに聞こえていたよ。

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