(111)9-4:指名

***

 神ネコさまたちのどよめきは、岩の下にいる茶色いマイケルたちにも憚ることなく伝わってきた。

『神世界鏡を、アイツらが?』

『地核の神もモウロクしたか』

『だからと言って地核さまがネコに後れをとるなど……』

『しかし鏡の存在を知ること自体、それが事実と言っているようなものでは?』

『まてまて、あそこにいる妙な神が入れ知恵でもしたんだろう。風の神もいるんだ、鏡の存在を知ることくらいわけはない』

 声が落ち着くのを待って、

『どちらにせよ、ですよね』

 立ち去りかけていた雷雲ネコさまが向き直り、虚空のマイケルを視界にとらえる。応えたのは大空ネコさまだ。

『地核のじいちゃん……さすがに他の宝かと思ってたなぁ』

 10メートルはある岩の上からすとんと降りてきて、片膝をついて座っている虚空のマイケルの前まで歩いていくと柔らかい声で言った。

『盗みは悪いことだよ子ネコたち。さ、おいたはやめて返しなさい』

 虚空はニコッと笑った。うしろから見える左右の頬ヒゲが、ひょいと持ち上がったんだ。

「大空の神よ、勝負をしましょう」

 それを聞いて茶色いマイケルは、次の段階に入ったことが分かったよ。

 ――説得は難しいだろうね。

 マルティンさんの言葉が浮かんでくる。

 ――交渉をするには場を整えなければいけない。その第一歩として、相手の耳をこちらに傾けさせることが重要なのだけど――。

「あなた方と俺たちとで、神世界鏡をかけた勝負を。いかがです?」

 大空ネコさまはピクリとも動かなかった。

 ――現状を聞く限り、神とネコでは立場が違いすぎるらしい。歯牙にもかけられないだろう。そこで――。

 虚空は「たしかに」とヒゲをしゅんとする。

「あなた方なら神世界鏡を俺たちから奪い返すことは簡単でしょう。捕まえて、身ぐるみ剥がしてしまえばいいのです。造作もない。しかし。それは神としていかがなものでしょう?」

 ピクピクッと小さなネコ耳が動いた。

「負ければ潔くお渡しします。であればわだかまりも残らず、双方――」

 虚空は少し息をためてから、ハッキリとした声で言った。

「気持ちもスッキリしてよろしいかと」

 その言葉を聞くと大空ネコさまはのろのろと上を向いて、『うーん』と考えはじめたよ。

 ――せっかくなら一度勝ってからにしませんか? その方が気持ちもスッキリしていいかと。

 耳に甦るマルティンさんの声。大空ネコさまにも聞こえてるんじゃないかな。

 茶色いマイケルたちは、この神ネコさまの琴線に触れるような状況を作ることにしたんだ。しゃべる内容はぜんぶ虚空が考えたんだけどね。効果はあったらしい。

『どう思う、雷雲ちゃん。どうせ手に入るんだし、それでもいいと思うけど』

 ただ、

『そのような勝負、なんの意味もありません』

 即答だった。

『そもそも神世界鏡を持っているという話も気を引きたくてでまかせを言っただけかもしれませんし、いたずらに時を失うだけでしょう』

『そう?』

 うなずきに合わせて紫電のたてがみがバチバチっと周囲に飛び散る。

『ただ、神世界鏡を持っているかもしれないという事実は見過ごせませんね。放置もできませんし、確認はさせてもらいましょうか』

 力づくでも、と視線をネコへ。

 ピリッとした空気に姿勢を正す神ネコさまたち。虚空のマイケルを見る目が変わり、今にも襲いかかって来そうだった。けれど、

「フッ」

 わざとらしい鼻息ひとつで空気は変わる。

「こちらは子ネコ4匹と、茶色いマイケルの背負う弱った神さまのみで闘いましょう」

 声に含まれた挑戦的なニュアンスは、耳の良し悪しに関係なく伝わっただろう。それくらいあからさまだった。

『おいおいネコよー、さすがにキツいんじゃねーのかー? オレが手伝ってやるぞー』

 風ネコさまも演技とは思えないくらい、いつも通りやる気のない声だ。

「ご厚意感謝します、風の神。しかし俺たちだけで十分ですのでごゆるりとご観覧下さい」

 あ? 

 肌寒さを感じたのは岩の上に熱が吸い寄せられたからかもしれない。

『生意気な』

『ネコごときに何ができるっつーんだよ』

『しかし礫のあり様を見れば何か……』

『あの神強いのか?』

『神力はほとんど感じないぞ。細神たちの中でも最低レベルというか』

 ざわめきの広がる中、その中央で『バカバカしいことだ』と、石うすを引くような声が静かに響く。

『何を企んでいるのかは知らないが、お前たちの話に乗ってやる義理はない。あのネコから聞いたのなら知っているはずだ、我々は地核の神より神世界鏡を預かるためにここにいる。奪うためではなく、預かるためにな。

 神には秩序がある。神世界鏡は地核の神自身からお受けする必要があるのだ。何事にも手順を踏まなければならない』

 蠢くだけのお前たちには分からんだろうがな、と白けて笑う。

『ゆえに我々の行動は決まっている。まずはお前たちから鏡を取り返し、地核の神に一度お返しした上で再度、話を進めなくてはならない。これは絶対だ。ミスは許されない。神世界鏡は絶対に取り返す必要があるのだ。つまり、曖昧な勝負とやらにかまけることは出来ない』

 周りの神ネコさまたちが、開いた口をそっと閉じていく。

『遊びたいなら他所でやれ。そこにいる仲良しの神たちとでも遊んでいればいいだろう』

 すると大気圧ネコさまがトラの大きな口を開けて、『ほな、大空さん』としっぽで集会場へと促した。やれやれと後に続いたのは流れネコさま、星屑ネコさま、つむじ風ネコさまの3匹だ。

『まったく地核の神も困ったものだ』

『奪われたのが事実ならやはり我々で管理すべきだな』

『なんか呆気なかったな』

 茶色いマイケルはその声を聞きながら、一瞬、ライオンの口の端が持ち上がったのを見た気がした。

『さて時間もない。話があるなら――』

「俺たちはあなたを指名する」

 声はやけに響いた。ただ、子ネコたち以外の誰もが意味を考えているようだった。実際、当の雷雲ネコさまですら大きく首を傾げる。

『意味が分からんのだが』

「あなたに勝負を申し込む。雷雲の神」

『は?』

 真っ先に反応したのは茶色いマイケルの前にいたジャガランディだった。岩の上の反応も似たようなもので、

『下位の神でなく、雷雲?』

『あいつら序列のことを知らないのではないか?』

『まさかただの動物と勘違いしているんじゃあ……』

 笑いが起こる直前だった。

『序列のことなど重々承知だ。その上で、一等神である雷雲の神に決闘を申し込んでいる』

 オセロットの声が朗々と響くと全員が、正気を疑う視線を岩の下のネコたちへと投げつけた。散らばっていた視線は最後に、

『まさか子ネコ1匹で来い、などと情けないことを言いはしないだろうな。それともまだハンデが必要か?』

 雷雲ネコさまへと引き寄せられる。

『……ああ?』

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