(5)1-5:黒いしみ

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「はじめ、『壊死猫病』と診断されて入院していたネコは3匹だったんだぁ。

 どういう経緯で感染したのかは分かってなかった。3匹ともここ数年は村の外に出ていないって言ってたからねぇ。

 医者ネコは、3匹の患者ネコたちを診療所に隔離して、感染が広まらないよう注意を払いながら治療を施した。治療って言っても原因が分からなければ対策のしようもないから、街から送られてくる麻酔を点滴するくらいだったけどさぁ。

 村ネコは、診療所には決して近づかないようにっていう医者ネコの言いつけをきちんと守ってた。もしかしたらそのまま会えなくなるかもしれないっていう気持ちを堪えて、きっと良くなる、って祈り続けてたのがオイラにもよくわかったよ。

 だけどそんな中、新しい感染ネコが出たんだ。

 しかもそのネコは3匹の患者ネコとも、医者ネコや手伝いのネコたちとも接触した覚えがないって言うじゃないか。感染から発症までがとても短い病気だから、数日以内に感染ネコの誰かと接触していなきゃ、感染するはずがないんだ。これはおかしいって、じゃあどうすれば感染しないんだって、誰もが頭を抱えたよ。

 そうして原因が分からないまま、次から次へと感染ネコは増えていった。

 それでも症状の軽いうちはよかったんだ。

 爪の先が少し黒ずむくらいで、入院生活にも支障は出なかったからね。

 だけどその黒ずみが、爪の中にある神経を侵して、毛を枯らし、肉にまで移ってくるとそうも言っていられなくなる。ドロッと溶けて崩れるんだ、自分の身体がだよ?

 朝起きたら自分の手が、汚れたドブ水をゼラチンで固めたみたいにテロンテロンになってて、そこを触ったらボトリと崩れ落ちる。神経も死んでるし麻酔も効いてるからちっとも実感が湧かないんだろう、患者ネコたちは自分の身体だったものをツンツンといじったりもしてた。

 どうしてそんなことを知ってるのかっていうとさ、オイラはね、医者ネコの手伝いをしてたんだ。しょっちゅう品種改良の相談に乗ってもらってた経緯もあって、実はオイラも感染の疑いが濃かったんだよね。色々お世話になったし、余所猫だしで、そのお礼。子ネコに手伝わせるのは……って言われたけど、そこは押し通した。

 結局、痛みを和らげる以上の手はなくってぇ、最初に感染した3匹のネコは死んじゃった。

 朝、医者ネコが片付けてるところを見た時は、シーツを変えてるだけにしか見えなかったんだけど、どうやらそのシーツのしみになった黒いのが、前の晩までネコだったものらしかった。

 ショックではあったよ。そんな風になるなんて夢にも思ってなかったしさ。ただ、オイラは一部始終しか見てなかったからその程度の感想で済んだんだ。けど、別の部屋に入院してた他の患者ネコたちはそうもいかない。

 痛みで暴れ、怖くて泣いて、そうして死んじゃった3匹の患者ネコたちの声を、一晩中聞いていたらしくてね、恐慌状態っていうのかな、毛を毟ったり爪で引っかき傷を作ったり、自傷行為をするようになったんだ。よほど怖かったんだと思う。

 その中の1匹にオイラ、ふとしたはずみで引っ掻かれちゃってさ。黒ずんだ爪でね。これでいよいよ本格的に感染ネコの仲間入りだと思ったんだけど、どういうわけか進行が遅かったんだよね。

 症状はぁ出てたんだよ。

 爪の先に黒ずみが浮かんでた。ただそれ以上進行がない。

 だからさぁ、もしかしたらオイラの血や細胞が治療のきっかけになるかもって言って、医者ネコと一緒に研究がはじまったんだ。

 結果を言うと血は関係なかった。

 だけど治療のきっかけはオイラの行動からつかめたんだ。

 それは患者ネコが増えて、いよいよ子ネコの手も借りなきゃ診療所の維持も難しいって時だった。

 それまでは遠ざけられてた”その後の処理”を、オイラが手伝うことになったんだぁ。まぁ、伏せるようなことでもないか。死体処理ね。シーツのしみになったネコたちの。

 死体に『壊死猫病』の感染源が残ってる可能性があるからぁ、病気の解明に使う分以外は埋めたててたんだけどさぁ、その埋め立てる場所に向かっている時に、

『品種改良の方はどうだい?』

 って尋ねられたんだ。看病の手伝いが忙しくなったって言っても、子ネコに出来ることは限られてるからさぁ、手の空いた時間は作業してたんだよね。というかそれを毎日の食料にしてたし、作らなくなっちゃったら病気になる前に餓死しちゃうから。

 話が肥料の方にいった時だ。

 オイラの使ってる腐植土がどこらへんから持ってきたものかを教えたら、医者ネコの顔つきが変わった。『もしかしたらそれが……!』って目を大きくしたあと、

『いいかい、そのことはまだ誰にも言っちゃダメだからね』

 ってオイラの肩を握って、押し殺した声で言った。どうしてか尋ねると、

『耐性を作れるのかもしれない』

 って瞳をキラキラさせてたんだ。オイラはさ、医者ネコの考えを聞いて胸を高鳴らせたよ。これを研究していければ、ってねぇ。でも、もしこの話がへたに村のネコたち、あるいは患者ネコたちに伝われば実の奪い合いになって、研究が進まない可能性があるでしょ? だから内緒にするようにって医者ネコは言ったんだ。

 だけど結局、一番いい方法ではそれを実現出来ないって分かって、別の方法をとることにした。医者ネコはその方法を、

『決して、誰にも教えてはいけないよ』

 って、前よりも暗い声でキツく口止めした。

 だけどぉ……言えるはずもなかったんだ。それは、とてもおぞましい方法だったんだから」

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